メッセンジャー:仁科宣雄師
「生きて働かれる神」 ( 列王記Ⅰ 17章 1~16節 )
秋の祭りの多くが収穫に関っています。聖書の時代からも祭りはありました。多くの人たちが余裕のない生活の中で、日々真剣に神に祈り、生活を支えられていました。年の何度かのエルサレム神殿への「都詣で」は義務でありましたが、神との契約を刻む時でした。この神の恵みを覚え続けることは難しく…2分されたイスラエル。南王国ユダではダビデの家系による統治が続きますが、北王国イスラエルは、次々と王朝が変わっていきました。
Ⅰ、偶像礼拝の罪
多くの王が真の神から離れ、偶像礼拝に陥り、民の生活を思うよりも自分の欲を満たすための政治が行われていました。北イスラエル7代目の王アハブにより、国力は増しましたが、偶像の神々への礼拝が導入され、主に対する背信的な行為が行われていました。神は預言者エリヤをアハブのもとに遣し、真の神に立ち返るよう働きかけたのです。
Ⅱ.養ってくださる主
アハブ王にエリヤは「私が仕えているイスラエル神、主は生きておられる。私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない。」と宣言します。怖さを覚えつつも「生きている主がついているのだから」と、自分に言い聞かせながら力強く言い切れたのでしょう。アハブが拝むバアルは、天候を支配し、畑の作物を豊かに実らせると信じられていました。その神にエリヤは真の神の力を示したのです。言葉通り、雨は降らず、国中で食べ物が不足し、その状況はエリヤにも同様に襲います。主はケリテ川のほとりに身を隠すよう命じ、朝夕、烏に運ばれるパンと肉、川の水で養いました(:3,4)
再び神は、異国の地に移るよう指示します。そこに住むやもめによってエリヤの命はつながれました。こうしてエリヤは、主の言葉への信頼が形作られていったのです。
「空の鳥をみなさい。…その烏よりも、価値あるあなたがたを私が養っています」との主のことばにどれほどの感謝を覚えているでしょうか。私たちは、真の必要を知っていてくださる主に養われているのです。自分の力で必要以上のものを得る必要はないのです
Ⅲ.信仰に応えてくださる主
異国で息子と暮らす貧しいやもめは、残された粉と油でパンを焼き、それを最後に死のうとしていました。そんな彼女にエリヤは「そのパンを私に」と求めたのです。彼女は、初めて出会ったイスラエルの預言者エリヤに、生きておられる神を見(:12)、「粉は尽きず、油は絶えない(:14)」と言う主のことばを信じて、「なけなしの食」を指し出したのです。
しかしこのあと、やもめの息子が病気で亡くなります。その悲しみをエリヤにぶつけます。そんな母親の嘆き、苦しみを共にし、エリヤは神に叫び求めました。すると、神は息子を生き返らせてくださいました。母親は、命を支配する神の御力を知り、信仰を告白します(:24)。同時にエリヤにとって、切なる祈りに答えてくださった主をその身におぼえることができたのは預言者としての大きな体験でした。こうして、神はエリヤを守り、養う中で、神の御力を体験し、待ち受ける王との対決=偽の神との対決に向けて備えていったのです。
結 論
私たちが生きている現代社会は、目に見える結果を求められます。神を信じているのになぜこのようなことが…と思われる中にも神の御力は働いています。私たちの祈りを空しく放っておかれてはいません。必ず主の最善のみわざを見せてくださいます。私たちの思いを確かに聞いて、応えてくださっている主の御声を聞きましょう。生きて働かれる神の体験を積み重ね、喜びと誇りをもって、堂々と神のことばを伝える者とされましょう。