2022年11月13日 礼拝メッセージ 「みことばの力~ヨシヤ王~」

メッセンジャー:仁科宣雄師

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「みことばの力~ヨシヤ王~」      ( 列王記第二 23章 21~25節 )

 古いものを片付けていると思いがけず懐かしいものが見つかり、手が止まることがあります。時が戻り、その時の感情が思い出されます。良い思い出も悪い思い出も今の自分の糧になっていることを覚えましょう。 主への信仰に生き、国を導いたヒゼキヤ王でしたが、王の死後、後を継いだ息子マナセは「いつも主の怒りを引き起こし(21:6)」、ユダの民を「迷わせた」王でした。さらにその息子アモンもまた、「主を捨てて、主の道に歩もうとはしない」王でした。しかし、アモンの子として8歳で即位し、31年間にわたり南ユダの王であったヨシヤは、曾祖父ヒゼキヤの信仰を倣うかのように主に従う信仰が培われていました。そして、王としての在り方の転機となる出来事があったのです。

Ⅰ.みことばを発見する     (22:1~13)

ヨシヤは、不法と不信仰が蔓延する国を主に立ち返るべく改革を進めましたが、その一つが主の宮の修理でした。この工事の途中、「律法の書」が発掘され、書記のシャファンは王の前で、それを読み上げました(:⒒~⒔)。ヨシヤは「衣を引き裂く」ほどに心を痛め、主の前に出ました。主の民であるはずの先祖がみことばに聴き従わなかった罪に対する、主の憤りの激しさを知ったからです。そして、この時ヨシヤは、これをただの古文書としてでなく、自分たちが従うべき、生きておられる神のことばとして受け止めました。

Ⅱ.みことばに応答する    (22:14~20)

ヨシヤは、祭司たちを女預言者フルダのもとに遣わし、フルダは主からのことばをそのまま告げました。16,17節の「主の怒りは消えない」という宣告は絶望的です。しかし主のことばは続き、ヨシヤが律法の書のことばを聞いて心を痛めへりくだり、泣いて立ち返った(=悔い改めた)ので,主は「彼の時代には、災いを起さない」と約束されたのです(20節)。

Ⅲ.みことばを具体的に実行する (23:1~25)  

ヨシヤは、王として民を導くべく立ち上がります。まず、主の宮で見つかった書物を、すべての民に読み聞かせました。そして王自ら、民の前でそこに書かれている主の命令と証しとおきてを守り、契約のことばを実行すると誓いました。さらに、王だけでなく民もこの契約に加わり、国全体で主のことばに従い、実行すると宣言したのです。  続いてヨシヤは、すさまじい勢いで偶像や自然崇拝の祭具、それに仕える祭司たちなど、偶像に関わる一切を排除しました。次に、過越しの祭りを大々的に執り行い、贖われた主の民としての「アイデンティティ」を思い出させるものでした。  「律法の書」は時を経て、「聖書」として完成されています。神は、「律法の書」を通してヨシヤに罪を示し、神に従う道を示したように、私たちにも聖書のみことばを通してなすべきことを教えておられます。聖書は、罪ある私たちを赦してくださった神の愛を明らかにし、 罪に道に戻ることを恐れ、主の道に進むよう私たちの価値観を変えてくれるのです。

結  論 

「宗教2世」の問題が取りざたされる中、私たちが子どもたちに願う「信仰継承」はどのようなものでしょうか?まず私たちが、神のことばによって養われることの尊さ、喜びが礼拝に表され、共に集まる人たちと共有していく姿が継承されていくことを祈り求めましょう。幼い魂が主にあって、真の祝福を得られるように心から願う者とさせていただきましょう。

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