メッセンジャー:仁科宣雄師
「わたしのための復活」 (マタイの福音書27章 39~54節)
「復活」は、私たち人間の理解ではあり得ないことです。実際に起こった出来事ですが、信じる人だけが信じればよいでしょうと、歴史書の中に記録されたことはありません。信じる人にとっては、生きる希望であり、力である主の復活を、心から喜び、感謝しましょう。
Ⅰ.神に敵対する人たちの新たな恐れ (27章62~66節)
神の大きな愛とあわれみによってイエスの「死」が実現した今、サタンは「復活」について恐れていたかもしれません。なおも神のご計画を妨害しようと、イエスの敵対者に働きかけます。『私は3日後によみがえる』と言ったイエスのことばを思い出した祭司長たちは、「弟子たちがイエスの体を墓から盗みだして、『よみがえった』と言うかもしれない。」と、群衆たちがいろいろ騒ぎ立てて面倒なことになることを恐れ、ピラトに警護を願い出ます。イエスのお墓には番兵が置かれ、墓石は封印されました。 人が自分の立場、権力を高め、守ろうとする時、さまざまな策略を考え、これで十分と考えるのですが、心配は消えることはなく、恐れに変わってくるのです。
Ⅱ.神によってよみがえらされたイエス (28章1~10節)
神の前に彼らの策略は全く意味をなさず、神の救いの計画は着実に進められます。 イエスがお墓に葬られて三日目の朝早く、イエスを愛する3人の女性たちがお墓へと急ぎました。会える可能性はないのですが、もう一度イエスにお会いしたいという思いを募らせ向かったのです。お墓に着いたその時、大きな地震が起こり、御使いが現れ、大きな石を横に転がしたのです。御使いは①恐れることはありません。②前からおっしゃっていたように、イエスはよみがえられました。③このことを弟子たちに伝えに行きなさい」と言います. 女性たちは、恐れながらも喜びがあふれてきます。急いで弟子たちの所へ行き、それを聞いた弟子たち(ペテロとヨハネ)も急いでお墓にやって来て、イエスの衣が置かれているのを見ました。ヨハネは復活を信じました。が、二人は捕まるのを恐れて家に帰って行くのでした、。再びお墓に戻ってきた女性たちにイエスは現れてくださいました。彼女たちは、イエス様の足を抱いて礼拝しました。私たちの「主の日」の礼拝の始まりがここにあるのです
Ⅲ.よみがえられたイエスの願い
イエスは、彼女たちに御使いが言ったことと同じこと、「『わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように、そこでわたしに会えます』と伝えるように」と、言われます。弟子たちに会って、「わたしがよみがえったのは、私を信じる人に新しい命を与えるため。その命が、どのような命なのか、一人でも多くの人に伝えてほしい」、「わたしの十字架とよみがえりを自分の目で見て信じたあなたがたならできるでしょう。」との願いを伝えるために、先に行って待っておられるのです。イエスは、弟子たちが自分のしたことを悔い改め、もう一度神の国のために働きたいという気持ちがあることを信じていたのです。ガリラヤは、彼らの出身地でもありイエスと出会った大切な場所。それは二つの命が与えられていることを意味します。人々が目に見える命のことで自分本位に生きる国ではなく、目に見えない永遠の命の価値観を持ち、安心してお互いのことを愛し合う神の国が広まることをまず弟子たちに確信させたのです。そして今、私たちに「永遠の命を信じなさい」と御声をかけてくださるのです。
結 論
イエスの復活は、イエスが神のみこころに従いきった時、成就した神のみわざです。愛する私たちが罪におびえることなく、新しい命に生きるためです。生きている限り、恐れや悩みは追いかけてきますが、それを希望に変えてくださる「力」です。神の愛を注ぎ続けていてくださる主を信じて、復活の主の御声に従ってまいりましょう。 |