メッセンジャー:仁科宣雄師
「イエスの御名による救い」 (使徒の働き 4章1~22節)
人は確かなものを得た時、強くなります。どんな小さなことでも自分にできることで自信を持つことが、その人を強くします。さらにそれが神と結びついている「信仰」によるものなら、自分が思う以上にその強さが用いられるのです。弟子たちは、復活されたイエスに、助け主なる『聖霊』に力づけられ、わたしの救いを伝えるという主の働きを託されました。彼らは、イエスの十字架と復活を「この目で見た」証人として、「イエスの御名による救い」を力強く語ります。
Ⅰ、変えられた人生 (使徒の働き3:1~10)
ペテロとヨハネが午後三時の祈りのため神殿に行った時、門の入り口に生まれつき足の不自由な人が「宮に来る人たち」に施しを求めて座っていました。彼は神を礼拝する人たちの善意に頼って生きていたと同時に、障害者=「罪人」のレッテルを貼ろうとする社会の冷たい評価やさげすみの中で生きていました。男性はペテロたちに施しを求めます。両者が見つめ合う中で、ペテロは「わたしにあるものをあげよう(3:6)」と言って彼の手を取りました。「するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり…立ち、歩き出し…(3:7,8)」と驚くべき奇跡がおこりました。ペテロは、金銀よりも価値のある「救い」でした。長く彼の心のうちにあった問題が、イエスの死と復活を自分のためと信じ、神と人々との関係が変えられたのです。人を責め、自分を愛せない人生が、神に感謝と喜びをささげる日々、賛美をささげる礼拝者へと変えられたのです。
Ⅱ、「ペテロの説教」 (3:11~26)
この出来事に驚いて、駆け寄ってきた人々にペテロは語ります。「あなたがたが十字架につけたイエスこそ、神に栄光を与えられ、死者から復活なさったいのちの君である。今、この男性はこのイエスの御名を信じて癒された。あなたがたは自分たちの犯した罪を悔い改めて、キリスト(旧約で予告されていたメシア)を信じなさい」というものでした。およそ50日前、裁判の過程で「イエスを十字架につけろ」と叫んだ人もその場にいたかもしれません。ペテロの説教により、大勢の人が罪を悔い改めて、イエスこそキリストであると信じました。
Ⅲ、「大胆な証しによる弁明」 (4:1~22)
この事態に怒りを覚えたのが宗教指導者たちです。ガリラヤ出身の「無学な人」である弟子たちが現れ、イエスと同じように病人を癒し、驚くほどの大胆さをもって「イエスがキリスト」であると語り始めたのです。そこに、足を癒された人が一緒にいては反論の余地もありません。イエスの名を信じる人々が増え続けることに焦りを覚えた彼らは、二人を脅し、イエスの名によって語ることを禁じました。しかし、どんな脅しを受けても聖霊によって神の約束を信じる者とされたペテロとヨハネの確信は揺るぐことはなく、主の教会は前進していきました
結 論
時代と共に価値観や生き方が変わる社会にあって、「イエスの御名による救い」 は、決して変わることはありません。教会の存在する意味も変わることがありません。イエスなど必要ないと絶えず断じる「世」に対して、代々の主の教会はイエスの証人として立ち続けてきました。私たちもその一人として、聖霊によって確信を頂き、いつも共にいてくださる主への感謝と喜びを語ってまいりましょう。