メッセンジャー:仁科宣雄師
「聖霊が降る日」 (使徒の働き 2章1~4、40~47節)
クリスマス、イースターの「お祝い」要素だけを取り入れる多くの人々にとって、今日のペンテコステは知られることがありません。毎年この日を迎えますが、この日にどれほどの意味があるのか、どれくらい喜ばしい日なのか、心新たにしてその恵みをいただきましょう。
Ⅰ、「約束とおり」のペンテコステ ( 2:1~13)
弟子たちは、イエスが復活されて「イスラエルのために国を再興してくださる」と期待しました。が、イエスは、あなたがたが建て上げていくことになるとおっしゃられ、そのための力となる聖霊が授けられること、そして、その聖霊によって「わたしの証人」となること(1:8)」が約束されました。その聖霊を祈って待つようにと命じ、イエスは天に帰られたのです。
その10日後、五旬節(ペンテコステ)という祭りの日でした。いつものように弟子たちが家に集まり、祈っていると、突然、天から激しい風が吹いてきたような響きが起り、炎のような舌が分かれて出現し、一人一人の上にとどまったのです。そして、弟子たちは、あらゆる国の言葉で神の大きなみわざを語り始めました。「五旬節」には、15もの地域から多くの人が来ていましたが(2:9∼11)、ガリラヤ人たちが自分の国のことばを話すのを聞いて驚きます。ぶどう酒で酔っているとあざける人もいました。約束とおり聖霊をくだされたのです。
Ⅱ、「主の証人」となり得るペンテコステ (2:14~40)
ペテロはこの日、主の証人としての力、聖霊に満たされて、イエスはキリスト(救い主)であることを声を張り上げて語ったのです。ヨエル2:28∼32、詩篇16:8~11,110:1を引用し、主の名を呼ぶ者はみな救われること、イスラエルの人々は罪のないイエスを十字架に付けたこと、しかし神はイエスをよみがえらせたこと、自分たちはその証人であることを宣言しました。そして今起こった現象は、「天の御座につかれたイエスが、御父から受けて、注いでくださった聖霊によるものです」と、語ったのです。元漁師であり、無学なペテロが、聖書を理解する力、語るべきことばを与えられ、大胆に証しすることができたのです。
聖霊に満たされたペテロの言葉は人々に深い罪の意識を生じさせ、彼らの「心を刺し」ました。罪の恐ろしさに震えおののく彼らは、悔い改めました。悔い改めとは、神に背き、自分かってに生きてきた生活から、神中心の生活に方向転換することです。人々は主体的にキリストを求め、キリストに従う者となったのです。
Ⅲ、「神の国」を建て上げるペンテコステ (2:41~47)
この日、福音を信じて悔い改め、バプテスマを受けた人は三千人。弟子たち自身、神の前に心を刺されるほどに罪を自覚し、悔い改めに伴う赦しの恵みを深く味わったからこそ、イエスを殺したユダヤ人たちを赦し、共に主の教会を建て上げていくことができました。
どんなに大きい群でも、どんなに小さい群でも、神の救いを示すのが教会の使命です。それは、人のわざではありません。深い内面からの「喜びと真心」によって神を賛美するという恵みが、民全体への良きあかしとなり、救われる人が日々加えられていくのです。
様々な誘惑が教会を襲いますが、私たちも「祈られた者」、「赦された者」に約束されている聖霊を、心一つにして祈り求め、「イエスはキリスト(救い主)」と証しする教会の原動力といたしましょう。
結 論
「聖霊が降った日」で終わりではなく、今日も明日も「降る日」です。イエスを信じる一人一人が聖霊の助けによって人々にイエスのことを伝えていくのです。多くの人が間違った罪意識とその浄めの方法の中にあります。真の神による罪の赦しを確信し、その恵みを語っていきましょう。聖霊なる神の力を誇りとし、喜んで、主のわざに励みましょう。