メッセンジャー:仁科宣雄師
「 預けられたタラント 」 ( マタイの福音書 25章14~30節 )
「タラント」は、今よく使われる「タレント」の語源です。本来は、神が授けた才能や能力を意味するものでしたが、やがて神とは無関係の単なる才能を指すようになり、今では芸能人の同義語となっています。今一度、タラントの意味を正しく理解し、主が一人ひとりに与えておられるタラントの用い方を考えてみましょう。
Ⅰ.「能力に応じて」お金を預けた主人 (25 :14~18)
イエスは「天の御国」は、「…預ける人のよう」とたとえられました。それは、全てが預けた人のものであるということです。天に座しておられる神は、被造物である人間にこの地を支配するように委ねられました。創造主なる神こそ、この世にあるすべての主権者であり、私たちの地上での生活は一時的、部分的であることを心しておくことを教えています。 主人が3人のしもべにそれぞれお金を預けて旅に出ました。それは「能力に応じて」だったのです。5タラント、2タラント、1タラントとその差が歴然です。しかし、1タラントは当時7,000万円でしたからそれだけでも莫大な額です。3人の事をよく知る主人は、彼らならこのお金をうまく使えると信じて、「自由に使って増やしなさい」と預けて行ったのです。
Ⅱ.「清算」の時 (25:19~28)
やがて主人が帰ってきて、清算することになりました。5タラント、2タラント預かった二人は、主人が自分を信頼してこれだけのものを預けてくれたことを知って、このご主人に喜んでほしいと願って、それらを基に一生懸命働きました。その結果、それぞれ倍に増やすことができたのです。主人はそのしもべたちの気持ちを知って「よくやった。良い、忠実なしもべよ」と褒めます。しかし、1タラント預かったしもべは「この主人は厳しい方」だと恐れ、失敗しておこらえるのが怖いと思って、地面の中に隠しておいたと言いつつ、1タラントを出したのです。それを聞いて「怠け者の悪いしもべだ、銀行に預けるだけでも考えなかったのか?」と、主人のことを自分の思い込みで決めつけて、自分にできることを何もしなかったことを叱ったのです。そして、預けておいたお金までも取り上げてしまったのです。
Ⅲ.主人への「忠実」 (25:13)
このたとえは、主人は神様、しもべは私たちを表しています。私たちはそれぞれ、神様から与えられているタラントがあります。優れた才能や能力だけでなく、時間や性格、これまでの経験、何よりも信仰、それら全てです。それは、人と比べるものではありません。「私は劣っている。いくら頑張ってもだめだ」と思い込んで何もしないのは、賜物を地面の中に隠しているのと同じです。 全ての人に莫大な価値ある1タラントとして預けられているものは「いのち」です。加えて一人ひとりを特別な存在として、あなたならではのものを預けてくださっています。創造主、与え主である神を覚え、神と周りの人を喜ばせるために賜物である自分自身を使ってほしいと願っておられるのです。能力以上のものを求められているのではなく、与えられたものを知って忠実に生かすことです。
結 論
私たちの人生は、再臨の主に出会うまでの旅とも言えます。主は「私の旅」に必要な物をご存知であり、すべてを備えゆだねていてくださっています。そして、その清算をする日が必ず来ます。主を信頼し、ゆだねられているものを喜んで用いつつ、「よくやった」との御声に励まされ、感謝をあらわしていきましょう。 |