メッセンジャー:仁科宣雄師
「立ち上がらせ用いられる主」 (ヨハネの福音書13:36~38)
「2度あることは3度ある」と「3度目の正直」と、3度目に対する期待度をどちらのことば に賭けるでしょうか?もちろんクリスチャンは賭けるよりも祈って結果を委ねます。 イエスはペテロを弟子として招き、弟子たちのリーダーとして認めてきました。すぐ感情をあらわにすることで失敗することが多いペテロに対して、何度もチャンスを与え、弟子として期待し、成長させてきました。そこにはペテロを信じる「イエスの祈り」がありました。
Ⅰ、ペテロの「砕かれた自信」 (ヨハネ13章36~38、18章12~27)
イエスが十字架にかかられる前の日の夜、イエスと弟子たちが過越の食事を取った広間 には不穏な空気が漂っていました。イエスが「この中に自分を裏切る者がいる」と、さらに 弟子たちとの別れを予告しますが、ペテロは「主よ、あなたとご一緒なら、牢であろうと、死 であろうと、覚悟はできております(ルカ22:33)と、自分の意志と情熱によって、自分はどこま でも主に従い抜くことができるという自信が読み取れます。そんなペテロにイエスは、「鶏 が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないといいます。」とおっしゃったのです。そんな 事は絶対に言わないとペテロは心で言い返したことでしょう。しかし、イエスの予告通りペ テロは三度にわたってイエスを知らないと否定することになるのです(ヨハネ18:15∼27)。「主 に見つめられたペテロは泣き崩れた(ルカ22:61)」と、自分の愚かさを見たのです
Ⅱ、失敗・挫折から生まれるもの (ルカ22章 31,32)
信仰の歩みにおいて失敗し、挫折を経験したなら、それを二度と繰り返したくないはず ですが、何度も自分の弱さや罪深さを思い知らされ悲しむことになります。しかしそのよう な悲しみの中でこそ、開かれる信仰の目があるのです。 ペテロの失敗の背後には、サタンの思惑があることをイエスは見抜いていました(ルカ22: 31)。そして、「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈り」があった のです。さらに「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と使命をも与え られていたのです。イエスは、ペテロが「失敗をしないようにとは祈りませんでした。挫折を 味わう中で「信仰がなくならないように」と祈り、そこからペテロが立ち直ることをあらかじめ 宣言していたのです。罪の力の前に無力である自分の現実を知り、悲しむ時に神は私た ちの目を開き、ご自身の深い愛と赦しの恵みの大きさに気づかせてくださいます。
Ⅲ、立たせて用いられる主 (ヨハネ21章15~19)
ペテロは、復活の主に出会い、喜びと同時に心の痛みも抱いていたでしょう。そんなペ テロに「「わたしの子羊を飼いなさい」と使命を与えられました。自分の弱さを知ったペテロは、もう自分の信仰をアピールすることはなく、「わたしがあなたを愛していることは「あなたが」ご存知です」と答えています。イエスはその心を受けとり、再び使命をお与えになりました。最後は「ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。それでもわたしにしたがってきますか?」と厳しい道を示されましたが、ペテロは従う道を選びました。
結 論
私たちや教会の歩みにおいて、一生懸命心を尽くしてしたことに限って、挫折や失敗を 味わいます。自信や喜びを失わせること以上に神の目を避けて、見上げることができなくなり、信仰を失ってしまうことがあるのです。しかし。涙の谷を通りすぎるようなときにも、愛する者と愛する教会とを砕き、ご自身への信頼へと導いてくださる主がおられます。同時にそこには、イエスのとりなしの祈りがあります。いつも私たちを愛し、「信仰がなくならないように」と、祈っていてくださる主を覚えて、その祈りに応えていきましょう。