メッセンジャー:仁科宣雄師
「実を結ぶ一粒の種」 ( 使徒の働き 7章 54~60節 )
父に感謝する日もアメリカの教会が始まりでした。聖書は「あなたの父と母を敬いなさい」と,人における一番大事な教えとしています。それは同時に、自分の存在を尊いものとし、自分の存在に価値を見出すことを求められているのです。父の日、改めて私たちに価値ある命をくださった神さまが覚えられ、その神と共に歩む本来の幸せを見出すことができるように心から願い求めつつ、父なる神、産んでくださった地上での父に感謝しましょう。
Ⅰ.教会の働き人の選出 (6:1~7)
聖霊降臨以降、教会は「弟子の数が増え」前進しますが、当初からユダヤの宗教指導者たちによる迫害は続き、聖霊に助けられての歩みでした。教会内での問題も経験します。 今回は、食事の配給をめぐり、同じユダヤ人でありながら、外国出身の未亡人がなおざりにされるという差別が起きていたのです。12弟子たちは教会員全員を招集し、教会内のこのような問題を扱う奉仕者として、「御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たち」を7人選出しました。これによって、「神のことば」はますます広がり、新たな祝福が加わったのです。
Ⅱ.ステパノの輝き (6:8~15、7:1~53)
捕らえられるステパノ・・・「信仰と聖霊に満ちた人(6:5)」で、食事の配給奉仕だけで なく、神のみわざを担う活躍ぶりでした。そんな彼の教えに敵対する人たちは、ステパノには「御霊」がついていることを知って言い負かすことができず、「ステパノは神に逆らうことを教えている」と、訴えを起こし、人々を扇動、最高法院に連行し裁判にこぎつげたのです。 弁明するステパノ…指導者たちが勢ぞろいする中に連れ出されますが、恐れはなく、 その顔は神の使いのように輝いていました。そして、「神様は昔から、神様のことばを伝える預言者たちを送って私たちを導いてくださいましが、私たちの先祖は預言者の言うことに従いませんでした。皆さんも同じです。イエス様は神様が送ってくださった救い主なのに、イエス様を信じないで十字架にかけてしまったのです」と、堂々と弁明したのです。
Ⅲ.一粒の麦として、キリストに似た者として、 (7:54~60)
ユダヤ人たちは、あまりの正しさに言い返す言葉もなく、「はらわたが煮え返る」ほど怒ります。しかし、主イエスが神の右の座から立ち上がって、ステパノの正しさを証明してくださるのです。この言葉を聞いて人々はさらに怒り、ステパノを町の外に出し、石を投げつけました。ステパノは、まさに主イエスが十字架上でなさったように、「私の霊をお受けください」と主にゆだね、「この罪を彼らに負わせないでください」ととりなしをし、そうして静かに息を引き取りました。ステパノは、最初の殉教者となりますが、父なる神の霊を受け、聖霊に満たされた姿は、恐れや憎しみではなく、聖霊に満たされる信仰者の幸いと、この地上において、栄光の御姿を映し出してくださる聖霊の働きを力強く証ししたのです。(Ⅱコリント3:18) この出来事の後、エルサレムの教会に厳しい目がむけられ、教会の人々は遠くに散らされて行きます。しかし、行った先々で主の救いを伝え、主の救いはさらに各地に広がることとなったのです。
結 論
ステパノの命は、確実に主にある新しい命を生み出していきました。私たちは、今、主のために直接「命」を求められる機会は少ないでしょう。しかし、「主のために」と言う言葉の陰に「見知らぬ人」が隠されています。私たちが主のために捧げる時間や持てるもの、何より真心は、主が愛する誰かのために用いられるのです。主がどのような実を結ばせてくださるか、期待しつつ、喜んで主に似た者とならせていただきましょう。 |