メッセンジャー:仁科宣雄師
「苦難からの救い~ヒゼキヤ王~」 ( 列王記第二 19章 14~19節 )
私たちは、「失敗を通して成長してきました」と言い切れるお互いではないでしょうか?聖書には様々な人物が登場しますが、見えない神とどのように関わってきたか…神の人と呼ばれてきた彼ら「偉人」は、失敗を通して神から学ぶことが多かったのです。
Ⅰ.ヒゼキヤ王の即位と失敗 (18:1~16)
南王国ユダの十三代目として即位したヒゼキヤは、主なる神に従う王でした(:3∼6)。彼の「神にのみ」信頼する信仰は堅く、王国に異教の習慣をもたらしてきた大国アッシリアにも断固とした態度をとるのでした。ヒゼキヤが即位して六年目、北王国イスラエルはアッシリアに滅ぼされます。在位十四年目には、アッシリアは南王国ユダにも侵攻してきました。アッシリヤの圧倒的な脅威に対し、さすがのヒゼキヤも、主の神殿の金を剥ぎ取り、貢物にするという屈辱的な対応で困難を乗り切ろうと判断します。ところが、アッシリアは手を引かず、その圧力は強まり、大軍でエルサレムを包囲したのです。
Ⅱ.アッシリアの挑発 (18:17~37)
アッシリア王は高官ラブ・シャケをエルサレムに送り込み、心理作戦によって民衆 から王への信頼を失わせようとします。ラブ・シャケはわざとユダの言葉(ヘブル語) でヒゼキヤを罵り、「アッツシリアに従えばよい生活ができる。ヒゼキヤ王に従うな」と 民に揺さぶりをかけたのです。そればかりか、「他の国々が各々の神を信じてもアッ シリアに支配されたように、イスラエルの神もまた、おまえたちを救えない」と言って、 主なる神をも罵りました。しかし民は王の命令を守り、何も言いませんでした。
Ⅲ.イザヤとヒゼキヤの応答、神の勝利 (19章)
ラブ・シャケの狡猾さ、神をも恐れない態度にヒゼキヤは徹底的に打ちのめされ、失 意の状態で主の宮に入り、祈りました。そして、側近たちを預言者イザヤに遣わし、民のためにとりなしを頼みました。すると主は、イザヤを通して王に勝利の約束を告げてくださったのです(:6、7)。しばらくすると、今度はアッシリアの王から「神にだまされるな」という内容の手紙が届きました。ヒゼキヤは主の宮に行き、「それを神の前に広げ」心を注いで祈ります(:15∼19)。
神は王の祈りを聞き、再びイザヤを通してみことばを下さいました(:32~34)。
そして、その言葉どおり、アッシリア軍はその夜、主の使いによって打たれ、王と共に撤退しました。 歴史を通して、人は戦って来ました。世界中が混迷を深めている現在、人は何を求めて戦っているのでしょうか?全てのものを造り、支配される主の前にひざまずき、主が備えておられる「勝者」の意味を知る者、追い求める者とさせていただきましょう。主なる神は世界の創造主・主権者であり、私たちを救い、勝利に至らせる力あるお方です。不信仰になりそうなときこそ、全てをご存知の神のところへ行きましょう。神は愛する者のためにご自身の「熱心」をもって応え、驚くようなみわざを成してくださいます。
結 論
この社会にあって、努力もしないで神を呼び求める、「祈り」の生き方は支持されないばかりか、証しにならないと惑わされます。しかし、私たちの祈りが、自分を含め、すべての人の益になるようにと主は考え、その祈りに応えてくださるのです。神の時、神の方法があります。神のなさる最善のわざに信頼して、祈りの力による勝利を積み重ねてまいりましょう。 |