2022年11月27日 礼拝メッセージ「救い主誕生の預言」

メッセンジャー:仁科宣雄師

目次

「救い主誕生の預言」             ( イザヤ書  9章 1~7節 )

約束を信じて待ち望むことはワクワクすることです。この時期の子どもたちの多くは、絶対にもらえると信じて「その日」を待ち望んでいます。神は愛する者たちに「一人の男の子を与える」と約束してくださいました。その約束がどれほどの意味をもつのか、どれだけ待つことになるのか、疑わないで信じた人々には「希望の光」が見え続けていたのです。

Ⅰ.暗黒の時代  

 ユダ王国がまだ滅びる前の話です。攻めくる大国アッシリヤに対抗しようと、北王国イスラエルは近隣のアラムと軍事同盟を結び、さらにユダにも加わるよう要求しました。しかしそれをユダが拒んだため、アラムとイスラエルは連合してユダを攻めようとしました。大国への恐怖が引き金となって、弱小国が争い合う不毛な、状況です。 社会には不安が広がり、国民は動揺し、恐怖に襲われていました。苦しみながら暗闇を歩むような人々に神は預言者を幾人も遣わし、神から離れたその罪を指摘し、悔い改めを求めました。預言者イザヤは50年間ユダを励まし、神のことばを語り続けました。

Ⅱ.メシア預言       (イザヤ9:1~7)

 イザヤは将来のメシヤ(救い主)の到来を予告し、7章ではそのお方が「インマヌエル」の主であること語りますが、暗黒の預言が現実化し始めてきていることを見ながら、9章において民たちに「闇がなくなる」「辱めは栄誉となる」「大いなる光を見る」との神の約束を信じて、自分たちはどう生きていくかを教えます。第一義的にはアッシリヤの圧政からの国土と民の解放を意味しますが、預言が究極的に指し示すものは、罪の支配からの解放と、その開放をもたらす救い主を意味します。実際には将来のことですが、預言者の目にはすでに起こったことのようにはっきり「見た」「照った」と言い切っているのです。そして、新しいメシア像を具体的に示されました。「やがて生まれてくる男の子」は主権をもっておられ、 「不思議な助言者」=右腕、知恵袋、顧問です。私たちの「すべてをご存知だからで ある(Ⅰヨハネ3:20)」主が、心に宿したみことばを通して、また人(信仰の友)を通して様々な助言をしてくださいます。人の思いをはるかに超えた驚くほどの知恵に聞き従いましょう 「大能の神」=戦いに強く勇ましい主の姿(詩篇24:8)です。私たちの戦いとは、多くの 場合、罪に引き込もうとする誘惑との戦いですが、「試練を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを助けることができる(へブル2:18)」イエスにこそ、助けを求めましょう とこしえの父=愛する子どもが右往左往している時でも、盾となって守り、励まし、力 づけ、とこしえの岩として支えてくださるのです。この父こそ信頼しましょう。 平和の君=神は、まず、私たちをその愛と赦しによって和解させてくださり、神との 平和にある豊かさを教え、その平和をもって、周りの人との平和を作りだす者としてくださるのです。この主の平和こそ本当の希望があることを覚えましょう。

Ⅲ.ベツレヘム預言      (ミカ5:2)

イザヤと同じ頃、神は預言者ミカを通して、その救い主の出生地はユダの地ベツレヘム だと予告なさいました。そして700年後、この預言は実現することとなったのです。

結  論         

神は、万軍の主の熱心=妬むほどの愛をもって、私たちの罪を赦す救いのご計画を約束され、実現されました。私たちはこの救いを手にしていますが、主はこの世界をさばくために、もう一度来られると預言されています。そして、旧約時代主の救いを待ち望んだ人々と共にすべての人が天国に集められるのです。再臨の主を待ち望みつつ、いつその時が来ても良いように、主にお出会いする備えをさせていただきましょう

アーカイブ

目次