メッセンジャー:仁科宣雄師
「救い主の道を備えたヨハネ」 ( ルカの福音書 1章 5~25節 )
私たちの生活に「道路」は欠かせないもので、多くは長期的な計画のもとに「道路」が造られ、町と町を結びながら、人や物の流れを作りだし、新しい世界を広げて行きます。
私たちが歩む人生の道も、将来を見据えた道備えが必要です。何を目標に進むのか、将来繋がるべき道を知りつつ、時には迷ったり、戻ったりしながらも自分の道を進みましょう。
Ⅰ.救い主誕生の準備
救い主が遣わされるまでには、数千年の時の経過と、数々の準備が必要でした。旧約
聖書の時代は、すべてが約束の救い主に至る準備の時でした。BC400年頃、マラキ書4章6節のことばを最後に新約聖書までの400年間は預言者のことばは途絶えますが、神は救い主誕生の準備を着々と進めておられました。世界の公用語としてギリシア語が用いられたこと、ローマ帝国の支配が長く続くことにより、パクス・ロマーナと呼ばれる平和が保たれたこと、ローマ帝国の隅々にまで道路網がはりめぐらされたことなど、具体的でした。
Ⅱ.祭司ザカリヤと妻エリサベツ (ルカ1:5~25)
それ以上に神は、大切な準備として、「暗黒」の社会に取り巻かれている民たちに「光」としてメシヤが生まれる」という預言に加え、そのメシヤが働きを始める前に、その準備を整える「先駆者」があらわれることを預言しておられたのです。
救い主の到来を信じ、待ち望む祭司ザカリヤと妻エリサベツに神は特別な恵みを備えておられました。神殿で香をたくという、祭司にとって一生に一度あるかないかという務めをすることとなったザカリヤは、その務めの最中、主の使いから「子どもが与えられる」そして、その子はイザヤが預言していた「救い主の先駆者」であるという宣言を聞きます。この御使いの言葉を疑ったザカリヤは口がきけなくなりますが、「主があわれんで」くださったことを感謝します。彼の口は開け、主の宣言とおり「ヨハネ」と命名されました。
Ⅲ.荒野で叫ぶ者の声
ヨハネは大きくなると、荒野で生活しました。その着物、食べ物も非常に簡素な生活をし昔の預言者たちを思い起こさせるのでした。「主の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ」との使命を受けて、ヨハネが成したことは二つ。
①悔い改めを迫る。具体的に真っ向から罪を指摘し、人々に自分たちの心の奥底にある救い主を待ち望む思いを目覚めさせ、心を激しく揺さぶりました。聖霊に満たされたザカリヤは来たるべき救い主が「その民を顧み、贖われる」ことを預言(1:68∼80)します。世界の人々を救うためにこの世に生まれようとしている「主の誕生」に先駆けて、わたしたちの心を救い主なる主に期待させるため、向けさせるために、神はヨセフを備えられたのです。
②自分ではなくイエスを示す。当時の人たちはヨハネを崇拝しようとしていましたが、ヨハネは自分を全て隠して、ただイエスを表しました。ヨハネの偉大さは、人々の目をイエスに向けさせ、その方のもとへ導いたことです。イエスのもとに多くの人々が群がるのを見て、ヨハネの弟子たちは妬みを起こしますが、「あの方は盛んになり、わたしは衰えなければなりません(ヨハネ3:29,30)」と、私たちも自分の願い、喜びがどこにあるか、問われています。
結 論
私たちは信仰により、救いの恵みにあずかりましたが、この恵みを多くの人に知らせる器とされています。日々主のみこころに従いつつ、神の存在を知らせ、イエスキリストが私たちのためにお生まれ下さったことを知らせるチャンスの時としましょう。混迷する時代に生きる人々に、確かな希望を示し、主の示されている救いの道を、賛美と感謝をもって告げ知らせてまいりましょう。