メッセンジャー:仁科宣雄師
「主の霊を燃え立たせて」」 (Ⅱテモテ 1章 1~14節 )
いつの時代も、戦いのない所はありません。もちろん目に見える戦い、命にかかわる戦いは限られた所で起こっていることですが、私たちの身近な所で、何より自分との戦いは日々おきているのではないでしょうか?戦いに挑むには、エレルギーが必要です。多くの商品が次々と開発されていますが、私たちは神のことばが力となっているでしょうか?
Ⅰ.パウロの感謝と確信 (1:3~5)
ローマのネロ皇帝によるクリスチャンへの迫害は一段と激しくなる中で、殉教の死を覚悟しながらパウロは愛するテモテを励まし、力づけます。テモテの仕える教会は、迫害に加え、種々の異教や悪影響に脅かされる内からの戦いがあり、「臆する」状況が満載でした。この時、テモテは30才台。パウロは若く、病弱、気の優しい性格のテモテに勇気を持たせ、彼の努力を不屈なものにするために、「信仰と確信」「テモテ家のすぐれた家系」「与えられた賜物」を思い起こさせるのでした。決して、テモテができていないからではなく、殉教の死を前にして、教会の将来を思うばかりに、「心して!」と使命を確信させるのでした。
Ⅱ.主の霊を燃え立たせて (1:6~7)
新たな力が必要なのではありません。すでに持っているものを「燃え立たせよ!」です。
①力の霊…イエスから神の国を託されたのは弟子たちであり、私達です。そのための力=聖霊を与えてくださいました。重荷
を負う力、厳しい環境に堂々と直面する力、魂を枯らすような悲しみ、心が打ち砕かれるような境遇に置かれても
失望しない力など、身体だけでなく、心も魂にも及ぶ力です。そしてその力は教会に与えられています。
(エペソ1:19~23)
②愛…「こんな私が罪赦され、愛されている(エペソ2:4.5)」この福音を信じた喜びと感謝は神の賜物です。たとえどんなに
神の知恵と知識、信仰をもっていても神の愛にまさるものは無い(Ⅰコリント13章)と、愛の行為は神の愛を受けた者
によってのみ、実現されるのです。
③慎み…日本語に訳するのが難しい言葉で、自制力、自己訓練、聖徒の健全さ等とも訳されます。運動選手の練習には自己抑
制が伴い、自分との戦いを通して力が蓄えられていくように、私たちはみことばによって神の御心を示され、従うこ
とを求められるのです。
Ⅲ.福音宣教のバトンを受けて (1:8~14)
パウロは、「福音宣教」のために「主の囚人」とされているが、これは恥じることではないと言い、この苦難をテモテにも共にしてほしいと願うのです。それは、「いのち」を与える神の働きであるからです。パウロは、「終わりの日には、困難な時代が来る(3:1)」こと、外からの迫害よりも、教会が正しい聖書信仰から外れ、世の中の波に惑わされるという自己崩壊の危機感を募らせていました。そのためには、すでにテモテに染みついている「いのちのことば」に立ち続け、「みことばを宣べ伝える」使命を全うするよう、念を押したのです。
結 論
神は、愛する御子の命をかけて証しされた「福音」を私たち教会に委ねられました。そしてその「福音」は、神が守ってくださると約束されています。私たち一人ひとりに与えられた霊が燃やされ、再び主が来られるその日に備えて、教会が建ち続ける意味を覚えつつ、「約束されたいのち」を得させる「福音」を臆することなく、恥じることなく語り続けましょう