メッセンジャー:仁科宣雄師
「神の家族の祝福」 (エペソ人への手紙 2章 19~22節 )
神様は全世界を造られ、最後に人間=男と女を造り、「産めよ、増えよ、地に満ちよ、地を従わせよ」とおっしゃられました。二人は、家族の核であり、祝福をあらわしています。その家族の在り方は時代と共に変わってきましたが、神様の領域であることを忘れてはいけません。聖書には、両親のもと生まれる命と神の霊による新しい命の二つがあると記され、それぞれに家族があります。
Ⅰ.「十字架の血」による神の家族
使徒パウロの時代、ユダヤ人は自分たちこそ神に選ばれた血統「サラブレッド」と言い、異邦人に対して厚い壁を作っていました。しかし、神はイエス・キリストの十字架と復活によってこれを信じるすべての人が救われるという道を開いてくださいました。神と人とを隔てていた罪の壁、ユダヤ人と異邦人の敵意の壁も取り除かれ、新しい人による共同体ができたのです。それが、教会であり「神の家族」です。
Ⅱ.「惜しみない愛」によって成長する神の家族
同じ家族でも生きる年代、経験、価値観の違いなど、愛情を表すタイミングがずれることから衝突,「親でもない子でもない」関係に陥ってしまいます。また、親の間違った愛情に翻弄させられながらも従おうとする子ども心を見る時、助言をしたくなるでしょう。本当の愛、正しい愛を教えてくれるところはどこでしょうか?本当の愛は、主の十字架のもとにあり、見返りを求めない、条件を付けない真の愛によって、人は豊かに成長することができるのです。父なる神は、私たち一人ひとりを、「神の作品」とし、良い行いに歩むように=神のご性質なる「愛」を表すようにと、その良い行いも備えてくださっています。その期待に応えるのは容易ではありませんが、どんな時にも父なる神の「独り子を与えるほどの愛」が注がれていることを覚える時、個人が成長するだけでなく、身近にいる家族全体にも及び、共に成長していきます。
Ⅲ.「永遠」に祝福される家族
「祝福」とは、文字から見ると「幸せを祝う」という意味ですが、神は幸せを先取して祝ってくださるというのです。言葉だけでなく、自分の持っている一番良いものをあげるという具体的な動作です。神は、神の持つ「無から有を生み出す力」を与えると言われるのです。それは私たちの想像をはるかに超えたものです。目に見える、手に届く物質的な繁栄ではありません。「世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。(Ⅰヨハネ2:17)」と、自分が永遠の存在であることを知って生きる日々には不安がありません。決して思うように進まない現実、辛い試練の中にも「永遠」を思うことができる希望が与えられ、それを家族で共有し、祈り支え合えることによって、今、神の祝福を受け止めることができるのです。
結 論
今日、新しいいのちの誕生を共に喜び、祝福にあずかります。今一度、先に救われた私たちも同じ新しい命に生かされていることを感謝し、同時に主からの使命を覚えましょう。 多くの人が悩み、傷つき、将来に不安を覚える社会にあって、神の家族である教会が、祝福をもたらす希望の光を輝かせ、多くの人の救いとなることを信じて励んでまいりましょう。 |