2023年2月26日主日礼拝メッセージ 「みこころにかなう祈り」 

メッセンジャー:仁科宣雄師

目次

「みこころにかなう祈り」       (ネヘミヤ記  1章  1~11節 )

私たちは聖書を通してイスラエルの歴史を見ていますが、それは、神と人間の歴史でもあります。ある意味で歴史は戦争の連続でありますが、その要因として「宗教」が上げられ、世界に数えきれない「神」がいる中で、天地万物を造られ、人を造られた真の神が、今のわたしたちをどのようにご覧になっておられるのか…救いの道を開いて待っておられる神のみこころを思うことです。

Ⅰ.神の都エルサレムを思うネヘミヤの祈り      (1章)

捕囚の民でありながら、ネヘミヤはペルシアの王に「献酌官」として仕えていました。王に酒を献上する職に就く彼は、王から厚い信頼を得ていました。そのネヘミヤが、故国エルサレムの城壁が、壊れた状態のままだと聞き、ひどく悲しみました。帰還した者たち=都(中央)に住む者たちが希望と力を失った時、遠く離れた所(周辺)に住む者たちが用いられます。心は主に最も近かったのです。彼は祈り始めました。その祈りは①神が「契約を守り、恵みを下さる方」と言い表し、②民と先祖の罪を自分の罪として告白し、悔い改め、③神への信頼を表明し、神のあわれみにすがって願いを伝えるのでした。 神の前に自分が本当に小さい者であり、ただただあわれんでほしいという願いに、神は「永遠の祝福を保証するアブラハム契約のゆえに」応えてくださるのです。

Ⅱ.祈りに対する恵みの神の応答      (2:1~11) 

ネヘミヤの憔悴した心を隠すことができないほどの様子に、王は問いかけます。彼は、心の重荷を話し、王に願いを伝え、具体的に必要なものも求めました。すると王は、その願いを聞き入れてくれたのです。ネヘミヤは王から信頼されていましたが、何より背後にある神の恵みの御手が、王の心を動かしたのです。王が願いを聞いてくれるチャンスに、ネヘミヤはまず神に祈りました(:4)。私たちも、ことばを発するとき、行動する前など、その瞬時に「祈ってから」という習慣をつけましょう。どんな時にも、自分の力ではなく、神の最善を求めるのです。神は信頼して求める者に必ず応えてくださいます。 神は王を通してネヘミヤに具体的に、今後の働きに最善の助けを与えてくださいましたが、彼は世の王を超える真の支配者なる神によるのだと断言しています。こうして、王の許可と支援を受けた「ユダの地の総督」として故国イスラエルに帰還したのでした。

Ⅲ、エルサレムでの現地調査(2:11~20)  

エルサレムに到着したネヘミヤは、さっそく現状の調査に出かけます。そして、再建を願っていることを民に告げ、神の恵みの御手があり、王が再建を許可したことを伝えました。それを聞いた民は心を動かされ再建に同意し、仕事を始めました。  するとたちまち妨害にあうのですが、彼らは動揺することなく、「主の御手によって工事は成功する」と断言するのでした(2:20)。 日本のキリスト教会においては、明治以来、社会に影響を与えてきた人を多く輩出してきました。彼らの多くはそれぞれ「中心」にいたのではなく、「周辺」にいたのですが、何をも恐れず、主キリストの愛に押し出され、神の知恵と力を受けて、賜物を生かし社会に自らをささげたのです。私たちにも神は「志」を与えて、それを全うさせてくださいます。

結  論

祈りは、かける時間や回数以上に「神のみこころ」が中心です。何でも祈れる自由はありますが、その自由を自らの欲のために使うことではなく、神のみこころにしたがって願うために用い、最善をなすことができる偉大なる神に「大胆に」求めてまいりましょう。

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