メッセンジャー:仁科 宣雄師
「良い羊飼いなる主」 (ヨハネの福音書 10章 1~18節 )
大震災での痛みを覚える多くの人が、命を失われた方々の思いに倣ってその命を自分を通して繋ごうと前に進んでおられます。私たちはこの命を誰に繋いでいけるでしょうか。
Ⅰ.羊に見る人間の姿
「羊」は、必ず人間の世話を必要とします。羊はとてもおとなしくて怖がりです。それでいて頑固で、決して一匹ではおれなくて、群れで生活します。一度倒れると自力で起き上がることができないなど、「牧者=羊飼い」の世話がないと生きていけないのです。
それは、私たち人間も共通するところではないでしょうか。自分の弱さを隠そうと強がってしまいます。倒れた時に一人で起き上がることが難しいでしょう。日本においては「和」を尊ぶ連帯意識も通じるところです。
当時、イエスの住むイスラエルでは、羊は生活に密着する動物であり、「羊飼い」を仕事とする人が多くいました。羊飼いには、たえざる警戒、不屈の勇気と羊の群れへの忍耐強い愛が求められ、羊飼いの良し、悪しが羊のいのちに関わることを誰もが実感していました。その身近なたとえを通して、イエスはご自分こそ「良い羊飼い」であること、そしてそれは父なる神の権威によるものであると宣言されたのです。
Ⅱ.キリストは良い羊飼い (10:1~18)
良い羊飼い(=牧者)とはどのような人でしょうか。
①、羊の門となる(10:7)…牧羊地では、羊飼いによってのみ、羊たちは門を安全に自由に出入りできるのです。イエスには、「わたしだけが、愛する民を守ることができる」=「わたしを遣わされた神だけが民を守ることができる」という意味があることばでした。
②、羊のことをよく知っている(10:3、14~15)…一匹一匹の特徴と性質をよく知った上で、守り、養い、名前を呼んで導いていく羊飼いに羊はついて行きます。自分の心の奥底にある思いも全てをご存知なのがイエスであり、「全てを知っているわたしの声に信頼して従って来なさい」と導いておられるのです。
③、羊のために命を捨てる(⒒、⒖、27~29)…自分の羊を守るために、昼夜を問わず盗人や強盗、恐ろしい猛獣などと命を懸けて戦います。いなくなった1匹の羊を見つけ助け出そうと、命を懸けて救い出します。主が私たちの命を守るためにも同様です。
Ⅲ、豊かな命の約束 (27~29)
このたとえはパリサイ人たち、宗教指導者に向けて語られました。9章でイエスは、生まれつき目の不自由であった人を見えるようにされましたが、パリサイ人たちはその人を会堂から追い出してしまいました。その後、イエスは彼を囲いの中にいれたのです。イエスが与えようと言われる「豊かないのち」とは、形ある物質的なものではありません。人を生かす命です。能力があるからできることではありません。真の命の源を知る人こそできるのです。試練や戦いを共に担い、益に変えてくださる主から与えられている命を最大限に生かす時、新しい命が芽生えるのです。それは永遠に生きる命です(:28,29)。命を生かしも殺しもできる力ある権威を父なる神から受けている、このイエスを信頼し、その声に聞き従っていく時、「そのいつくしみと恵みが追いかけてくるでしょう。」とダビデが歌うとおりです。
結 論
この牧者なる主の豊かな養いにあずからせていただくためには、詩篇100篇3節、「知れ。主こそ神。主が私たちを造られた。私たちは主のもの 主の民その牧場の羊。」という告白から始まります。そして「感謝しつつ主の門、 讃美しつつその大庭に入れ」と招いてくださる主に「あなたこそ私の牧者です」と信頼して従ってまいりましょう。