メッセンジャー:仁科宣雄師
「信仰がなくならないために」 (ルカの福音書 22章31~62節)
本日の御言葉
わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。
ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。
ルカの福音書 22章32節
今、裏切られるのを恐れて、人と深く付き合わないようにしているという方々が多いのを耳にします。裏切りにも色々ありますが、裏切りを通して学ぶこともあるでしょう。反対に、信じきったその自分を責めることにならないようにと、願うところです。
Ⅰ.弟子たちの弱さを知るイエス(31~34節)
イエスが十字架にかかられる直前の木曜日の夜、イエスが切望された弟子たちとの最後の晩餐の席で、弟子たちはイエスを裏切るのは誰か、この弟子の中で誰が一番偉いかと議論をしています。ペテロは自分こそ特別だと余裕をもって聞いていのですが…イエスは、ペテロを通してサタンがあなたがたを激しく揺さぶる、そして事実、ペテロが主を裏切ることになると予告したのです。その上で「試練の中でも信仰がなくならないように祈った」とおっしゃられるのです。ペテロは自信をもって「死に至るまでも、あなたと御一緒に行く覚悟です」と言い切るのですが、イエスは、「その失敗が必ず生かされる、そして、本当に自分の弱さを経験し、その苦しみを知った者だけが、他の人の弱さをも担うことができる、ペテロはその意味で皆の先頭に立って行くことになる、そのために私は祈っている」とおっしゃられたのです。
ゲッセマネの園において、イエスが十字架の死に向かって苦しみ祈っておられる時、弟子たちは「眠って」しまいます。肉体の弱さです。イエスは「サタンは私たちの弱い所を知って、狙ってくる。だから起きて、目を覚まして祈っていなさい」と諭されるのです。
Ⅱ.ペテロに向けられる主のまなざし(47~62節)
その所で、ユダは敬愛を表す口づけをもってイエスを売り渡しました。イエスは「神の時」として自ら捕らえられて行きました。ペテロはひそかにイエスについて行き、大祭司の家の庭まで来ました。が、そこで「イエスの仲間だろう」といわれ、思わず3度、否定するのでした。その時、鶏が鳴きました。イエスは遠くから振り向いて、ペテロを見つめられました。そのまなざしにペテロはイエスの悲しみ、嘆き、痛みを覚え、同時に主の赦しと愛を経験したのです。罪の罰は、イエスの怒りに直面する事ではなく、その目にある失意にあったのです。
少年福祉活動家であられた地主愛子さんは小3の時、クリスチャンであるお父様の愛を裏切り、再び罪を犯した青年に対する悲しみの目の涙をみて、深く感動し、少年福祉活動家として、多くの青少年に寄り添うことに生涯を費やしました。
Ⅲ.ふるわれる信仰
私たちの信仰とは、「主は私にとって完全なお方です、最善をなさるお方であることを信じて従います」ということですが、大切なのは、「私の罪に対して」の信仰です。神様の聖と義に対して100%信頼しますと言い切れない弱さ、「主の前に」強く言い切ったことほど、それをできない自分に落ち込みます。が、弱い自分だからこそ、主の赦しと愛なくしては生きられないという信仰に立てるのです。「罪」から解放され、揺らぐことのない自分を生きることができるのです。
結 論
私たちは、主の前に一生懸命生きようとすればするほど、自分の力の足りなさ、惨めさと向き合うことになります。主はそのような試練の中にある時、信仰こそが試練から立ち直れる力であることを教え、その信仰がなくならないように祈っていてくださいます。同時に、試練の中にある信仰の友のために祈る者に成長させてくださることを覚えつつ、主への信仰を深めてまいりましょう。