メッセンジャー:田上篤志師(宇都宮共同教会牧師)
「いのちを生かす愛」 (コリント人への手紙第1 13章13節)
本日の御言葉
こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、
これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。
コリント人への手紙第Ⅰ 13章13節
J・モルトマン著「終わりの中に、始まりが」からの引用に加筆
誰かが死ぬとき、家で、家族や友人に囲まれて死ぬことは滅多にありません。多くは病院の病室、それも集中治療室で死を迎えるようになりました。そこで息を引き取ると、遺体は霊安室に移されます。そうした対応がとられるようになっていますから、家族や友人たちは、もはや何もすることができません。何もできないのは身内だけではありません、医師も何もすることができないのです。こうして多くの人々は、誰かの見守りを受けながら死を迎えるというのではなく、どこかの部屋で、一人で孤独に死んでいきます。 葬儀については、すべてのことを家族に代わって葬儀社が引き受けますから、家族が葬儀のために何かを配慮することはほとんどありません。近所の人たちや友人たちも、遺族に対してすることといえばお悔やみの挨拶ぐらいです。葬儀のために何もすることがないからです。女性たちはもはや黒い喪服を着ませんし、男性たちはスーツに黒の腕章をつけることもありません。ロンドンには、喪服の大きな店が二軒ありましたが、この店はもうありません。こうした状況のなかで、棺の中の故人とその遺族は、こう言っているかのようです。「どうぞ、お構いくださいませんように」と。 こうして死から来るわずらわしさは、できる限り締め出され、取り除かれてきました。死ぬことを話題にすることはタブーとされ、死の悲しみを受けとめる時間についても、社会が認めてくれる時間は短くなって行きます。
このような欧州の状況と私たちの社会の状況とは、全く同じというわけではありませんが、似ている面があるし、今後ますます似たものとなってゆくのではないかと思います。そのことを踏まえて今朝は〈死を思うことの大切さ〉と〈いのちを生かす愛〉という二つのことを受けとめたいと思います。