2025年6月8日 ペンテコステ/花の日・こどもの日礼拝メッセージ 「教会の誕生」

メッセンジャー:仁科宣雄師

目次

「教会の誕生」                 (使徒の働き  2章37~47節)

本日の御言葉
  彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
                                使徒の働き 2章42節

主イエスの宣教活動は、「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1章15節)で始まり、神の国の宣教命令「全世界に出て行って、福音を伝えなさい」(マタイ28章18節~20節)で閉じられました。このイエスの教えを信じて従うことが私たちの信仰であり、その主の働きを表すために教会が建てられているのです。

Ⅰ.聖霊の降臨               1章、2章1節~13節

ギリシャ語ではペンテコステと呼ばれるこの日=五旬節は、旧約での「過ぎ越しの祭り」=新約の「復活」から数えて50日目、初夏の収穫を祝う祭でもありました。この日、聖霊がくだりました。弟子たちがイエスの約束を信じて心を一つにして祈っていた時、激しい突風が吹くような響きが家全体に響き渡り、炎のような舌が弟子たちの上にとどまりました。「風」は命を与える神の息、「炎」は罪をきよめる神の力を表しています。そして、聖霊に「満たされた」弟子たちが他国のことばで神の偉大なわざを語り始めたのです。祭りのためエルサレムに集まってきていた多国の人たちが、普段自分たちが使っている言語で福音を聞き、理解できたのです。しかし、敬虔なユダヤ人たちは、彼らのことばを馬鹿にしたり、酒に酔っていると見えたのです。

Ⅱ.聖霊の力を受けたペテロの説教     2章14節~36

驚く人々にペテロが大胆に主キリストを証しします。「このエルサレムで50日前、十字架につけられて死んだイエスは、旧約で預言されていた救い主メシアであり、死後3日目に復活され、私たちはその証人です。イエスは犯罪人ではなく、私たちの罪の身代わりとして罰を受けてくださったのであり、あなたがたが、主イエスを十字架につけて殺したのです」と、感情で感情に訴えるのではなく、事実をもとに、悔い改めてイエスを救い主として信じるようにと決断を促すのでした。
①聖霊は心を一つにする …それを聞いた人々は、心を刺され、ペテロの言葉に従い、バプテスマを受け、弟子たちの群れに加わりました。この集まった人々が「教会」と呼ばれたのです。教会は、聖霊によってお互いの価値観を一致し、神の祝福を互いに分かち合ったのです。今、断絶と分断と孤独に苦しむ時代にあって、聖霊を受けた教会は分断の壁を越え、一つになっていく喜びを表す使命があるのです。
②聖霊は「普通の人」を力ある者にされる …ペテロを筆頭に、主の弟子たちは、最後は主を捨てて逃げるような臆病者でした。そんな「無学な、取るに足りない人」たちが、復活の証人として一変したのです。聖霊は、弱くて愚かで無に等しい者を用いて、世の強く賢い者に神のことばを聞く耳を持たせ得るのです(使徒の働き1章8節)。

Ⅲ.教会の成長を喜ばれる主 

主によって教会は建てあげられました。誕生した子どもの成長を心から願うのが親であり、祝福へと導く責任もあります。主は私たち教会に「宣教命令」という容易ではない課題を託されました。同時に聖霊を通して、共に働き、神の御業を見せ、私たちを主の御心にかなう成熟した大人へと成長させてくださるのです。

結 論

聖書の「教え」がなければ信仰は空虚になり、「交わり」がなければお互いの愛は成長できないままで、パンを裂く「聖餐」なくしてはキリストに対する望と相互一帯の意識は消え去り、「祈り」がなければ神との関係が失われます(中島彰師)。 教会が、聖霊を注がれてその使命を果たすのに不可欠なこの4つ、「教え」「交わり」「聖餐」「祈り」を覚えつつ、具体的に求めてまいりましょう。

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