メッセンジャー:仁科宣雄師
「すべての人を救う主の名」 使徒の働き 8章26~40節
本日の御言葉
また、私のためにも、私が口を開くときに語るべき言葉が与えられて、福音の奥義を
大胆に知らせることができるように、祈ってください。
エペソ人への手紙 6章19節
「絶望の隣に希望が…、希望は失望に終わることはありません」使徒たちの伝道によって主を信じる者が加えられていき、多くの人が生活を共にするようになると、様々な問題が出てきました。そのことに当たるために「執事」を立てることが導かれ、知恵と信仰と聖霊に満ちた7人の人たちが選出されました。聖霊は、主のことばを前進させると同時に、教会をきよめ、整え、神の要求と人々の要求を満たすものでした。
Ⅰ.エルサレムからサマリアへと広がる喜び 8章1~8節
執事の一人ステパノは、「主こそ救い主」と語ったことで、「神を冒涜した」罪に問われ、殉教の死を遂げました。が、天を仰いで輝く顔は皆の心を引き寄せたでしょう。ステパノの死後、迫害の手は使徒たちから教会の信者たちにもおよび、6人の執事たちは信徒と共に離散していきました。ただ、キリストの福音による喜びが心の中で泉のように湧き上がり、語らずにはおれません。福音を伝えながら巡り歩いたのです。同じ執事の一人、「ピリポ」はサマリアに行きました。ユダヤ人と犬猿の仲にあったサマリヤ人でしたが、彼らも同じ神を信じて礼拝を捧げる民でした。彼らはピリポの語る主のことばを「そろって」求め(:6)、イエスを救い主として信じ、喜びに満たされたのです。ピリポは、「サマリア人に福音は必要ない」、「彼らに福音を語っても無駄だ」とは思わず。今、自分を生かしているものを今、置かれている所で人々に分け与えたのでした。
Ⅱ.エチオピアの宦官(異邦人)の喜び 8章26~40節
主は、非常に活発なピリポを「荒野」へと導き、そこでエチオピアの宦官(=女王の全財産を管理する高官)に出会わせます。彼は外国人でしたが、イスラエルの神を知っており、敬い、エルサレムで礼拝を捧げて国に帰る途中でした。イザヤ書のみ言葉を読みながらも、理解できず、教え導いてくれる人を必要としていたのです。イザヤ53章「苦難のしもべ」の箇所に記されているのが誰のことなのかと疑問を持つ宦官に、ピリポはそれがイエスのことであると教え、神に背く人たちのためにご自身のいのちを捧げ、十字架で贖って(買い戻して)くださったという「イエスの福音」を伝えました。宦官は、イエスと自分との関係を見出し、イエスが自分の主であること、十字架で救ってくださったことを信じ、ピリポからバプテスマを受けました。するとピリポは、主の霊によって別の場所へ導かれ、姿を消しますが、残された宦官は救われた恵みで心が満たされ、喜びと共に国へと帰っていきました。こうして、異邦人伝道がスタートしました。
Ⅲ.すべての人を救うイエスの福音
イエスの福音は、人の考えや計画、人と人との壁を越えて世界中に広がっていきます。と言っても決して自然に、容易に広がっていったのではありません。多くの人は「神は困ったときに助けてくれればよい存在」と思っているのです。しかし、生まれもって罪の性質を持つ人間には、イエスの「救い」が必要ない人はどこにもいません。進化論者ダーウインの、南アフリカの南端の島に動物から人間への進化の途中の生き物がいるとの発表に、海軍退役大佐のアレン・ガードナーは、聖書の立場から、彼らは立派な人間であると確信し、彼らに向き合うことを決めました。まるで動物のような生き方をしていた彼らが、25年後には英語を語り、賛美するまでに変えられたのです。
結 論
神に用いられたステパノもピリポも使徒(教職者)ではなく信徒でした。私たちの周りには主の救いを必要としている人がいます。「聖霊によって福音を宣べ伝える者として整えてください」と祈り求め、遣わされてまいりましょう。