2025年7月13日 主日礼拝メッセージ 「見る目が変えられた人生」

メッセンジャー:仁科宣雄師

目次

 「見る目が変えられた人生」                     使徒の働き 9章10~22節

本日の御言葉
  だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
  古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
                         コリント人への手紙Ⅱ 5章17節

目は体の中でも小さな器官ですが、肉体的にも心理的にも重要な働きをします。一瞬にして「見る目が変わった」体験をされた人も多いことでしょう。その理由も様々ですが、「聖霊によって」見る目が変えられたサウロの人生から学びましょう。

Ⅰ.イエスの声を聞くサウロ     9章 1~9節

若者サウロは、真の神様を熱心に信じ、神の約束である「救い主」を待ち望んでいました。その救い主が、罪を犯して十字架刑になるような者=イエスであるということが受け入れられず、「イエスは神を冒涜する者だ」と激しい怒りを覚えたのです。そして、そのイエスを信じる信者たちを撲滅することが、神に対する忠誠と心得ていたのです。キリスト教会の撲滅を目指す姿は、獲物を見据える「狼」のようだったでしょう。ダマスコを前にして、突然、天からの光が当たりを照らし、サウロは倒れ、「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」というイエスの声を聞いたのです。サウロは、十字架で呪われて死んだはずと信じていたイエスが、甦り、今も生きておられるという事実と向き合うこととなったのです。目が見えず、身動きできない彼は「迷える羊」のようです。3日間祈る中で、自分が命をかけるほどに敵対していたイエスが、十字架の死に勝利された救い主として迫ってきたことでしょう。サウロは、これまでのこと全てを悔い改め「イエスこそが真の神であり、救い主である」という信仰に導かれたのです(20節)。

Ⅱ.主に用いられるアナ二ア     9章 10~19節

一方、ダマスコで律法に従う敬虔な信者アナニアは、幻の中でサウロの元へ行くようにと神の声を聞きます。サウロの凶暴さを知っており、ためらうアナニアに神は「サウロが今祈っている」と…、「その祈りの中で彼が『神の選びの器』であり、多くの苦しみにあうことも示している」と告げられました。神はご自身の栄光を表す器として、サウロを砕き、整えておられたのです。神の声に従って、サウロのもとに来たアナニアは、サウロに「兄弟」と呼びかけ、手を置いて祈りました。するとサウロの目から鱗のようなものが落ち、再び目が見えるようになったのです。これまでの視界が戻っただけではありません。霊の目が開かれ、イエスが「神を冒涜する者」ではなく「救い主」、神の約束を信じて待ち望んでいたメシアであると、自分の目で見ることができたのです。彼は主の前に、これまでの罪を悔い改めつつ、信じて、バプテスマを受けました。

Ⅲ.見る目が変えられた人生     9章 19~28節

多くの人の命を奪い取ってきたサウロは、見る目が変えられ、真の命を与え得る者に変えられました。このことで、サウロの同志であったユダヤ人たちは怒り狂い、殺害を企てます。「仲間に入れてほしい」と言われたエルサレムの使徒たちも素直に受け入れることはできません。しかし、主は常にサウロと共にいて、彼を守り、助け、「パウロ」として世界に主の福音を告げ知らせる器として用いたのです。私たちも「自分」と言う覆いが外される時、神の見る世界を見る者へと変えられるのです。「十字架につけられたもうたキリスト。十字架上における彼の人類に対する熱愛と崇高な目的・・・それと同じ心で生活することが、私の真の願いである。(リスト)」 

結  論

自分の満足、成功、勝利を求めて生きる人生、間違った信仰心で生きる人生は、神と人を喜ばせることはできません。生きる目的も使命も新しくしてくださった主を思い、主のことばに従う人生は神と人を喜ばせ、真の命を与え得る力があります。この主に感謝と賛美を捧げつつ、主の名を告げ知らせてまいりましょう。

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