メッセンジャー:仁科宣雄師
「ソロモンの神殿建築」 ( 列王記Ⅰ 8章 22~30節 )
どの国、どの町に行っても、「神を祀る」所があります。その地を守り、繁栄をもたらすために欠かせないものであり、心の拠り所となっています。私たちを造り、命を与え、祝福を約束していて下さる真の神を信じる私たちは、神と向き合い、自分を差し出す礼拝を通して生かされている感謝と新しく生きる力をいただくことができるのです。
Ⅰ.神と民の出会う場所、神殿
エジプト脱出後に造られたモーセは「幕屋」(出エジ35章10節~)に「十戒」の石板を収 めた「契約の箱」を安置しました。幕屋を通して、神の臨在と主に対する礼拝こそがイスラエルの根幹を成すという信仰理解がつくられていったと言えます。カナン定住後はシロに「会見の幕屋」が建てられ、「聖所」と呼ばれるようになります。その後、王位に就いたダビデがエルサレムに神の箱を安置しました(Ⅱサムエル6:17)。ダビデは主にふさわしい「神殿」を建てることを願いますが、主に彼の後継者が着手すべきと告げられるのでした。
Ⅱ.神が生きて働かれる神殿
ソロモンの王即位から4年目、「御霊によって」と、父ダビデから預かった設計図には神によって、その構造から寸法、配置、配置など詳細が定められ、それに従い造られました。 神殿は神が民と共に住むことを表す臨在の中心…全て神の基準で造られ、人間を基 準とした利便性や合理主義を持ち込んではいけないのです。 神殿は神礼拝の中心…「主の定めに従って礼拝せよ。」という徹頭徹尾の服従を求め られています。私たちの礼拝は、時間、場所、献金を捧げますが、同時に神にお仕えする「心」が求められるのです(詩篇51:16、17)。全てをご存知の神をわたしの「主」とし心からお仕えすることを喜びとすることが、神に喜ばれる(=感情を有する)生きた礼拝なのです。
Ⅲ.ソロモンの神殿奉献の祈り (8章)
神殿がついに完成し、イスラエルの全会衆が招集され、奉献式が執り行われました。主 の栄光が神殿に満ち(8:6,9∼11)、ソロモンは、神殿の完成を宣言し、全会衆を祝福します 主の御名のためにというダビデの願いが繰り返されます(:18,19)。 続いて、天に向かって神に祈りをささげます。ソロモンはあなたのような神をこの小さな 神殿にお入れできないことを告白しますが、それを聞かれた主は、主のほうから「わたしの名をそこに置く(9:3」と言ってくださったのです。この恵みの臨在のもとに、ソロモンはしもべの祈りと願い、加えて、神殿に向けて祈る民の願いを聞いてくださいと主に懇願します。罪を犯した時、敵に打ち負かされた時、飢饉や病に苦しむ時…と、様々な状況を想定し、神殿に向かい悔い改めて祈るなら、赦して祝福を回復して下さいという祈りです。そして その祝福が異邦人にも及ぶことを求めて祈ります。(:41~43)。 祈り終えると、再び民に向かって、神が今までイスラエルに対し誠実を尽くして導いてくださったことを証しし、これにふさわしく主の命令を忠実に守るべきこと、ついには全人類がこの真の神を知るに至るようにとの偉大な希望を表明して締めくくったのです。
結 論
やがて神殿は崩壊し、キリストのからだである教会が神殿の役割を果たしていきますが、一人ひとりが聖霊の宿る神殿です(Ⅰコリント6:19)。主にある長寿の恵みは、神の子どもとして生かされていることそのものが証しです。感謝と恐れをもって教会生活の一つひとつを大事にし、主が共にいてくださる祝福と恵みを味わっていきましょう。やがて新しい天と地、新しいエルサレムの時代が到来し、主ご自身が神殿となられる時(黙示21:22)、栄光の御姿を拝する恵身にあずかるものとさせていただきましょう。 |