メッセンジャー:仁科宣雄師
「力となる主のことば」 ( 使徒の働き 17章 22~34節 )
8月を迎え、今も戦争は終わっていないと被爆の苦しみを知る多くの方々がおっしゃられるように、人が与えられた知恵と知識を何のために、どのように用いていくか、今の私たちにも与えられている課題は多くあります。
今日はパウロの「アテネ」での宣教を見ましょう。ピリピで宣教した後も、色々な妨害や反対運動が起きますが、それらを貫いて、主の働きは進展しました。福音の宣教が実を結んだ陰には、各地で主が協力者を備えておられたのです。
Ⅰ.「憤るパウロ 」 (17:16)
パウロは、反対派の人たちから逃れるようにしてアテネに着きました。この地は、文化的な発展を遂げ、哲学、建築、政治に秀でた地でした。市民は生活の雑事を奴隷に任せ、知的好奇心のままにさまざまな議論を交わしていました。宗教心もあつく、市中にはさまざまな神の彫像が置かれ、丘の上にはりっぱな神殿が建てられていました。パウロは、実在しない神の像を作って拝む人々に憤りを覚えます。
その憤りは神のみこころとあまりにもかけ離れている罪の現実、知らないでいることへの悲しみに通じる憤りです。「霊を突かれる」思いで、「真実の神を知らせなければ」とパウロの口を動かしました。ただ、福音を知ってもらいたいとの願いからでした。
Ⅱ.「宣教するパウロ」 (:17~31)
優れた弁論を聞きなれているアテネ市民には、彼の話は幼稚に聞こえましたが、その内容は新鮮で興味がわきました。人々は、正式に「アレオパゴス」での説教を求めます。
パウロは、この人々の宗教心に着目して語り始めました。「世界の全てのものを造られた、ただ一人の神様は、人が作った神殿など必要ありません。人にお世話をしてもらわないと何もできないお方でもありません。神様は人をも造られたが、宗教心をもっているのは、人間が『神のかたち』に創造され、神の息を吹き入れられているからです。この神は、皆さんが神の子どもとして、ご自分のもとに帰ることを望んでおられます。そのことを伝えるために、神は救い主イエスをこの世に送ってくださいました。イエスは、神から離れた私たちの罪を赦すために、私たちの罪を背負って十字架にかかってくださいました。そして、死に打ち勝ってよみがえられました。このイエスを救い主と信じるなら、皆さんの全ての罪は赦されて、神の子どもとしてくださるのです」と、本当の神について力強く語ったのです。
Ⅲ.宣教の結果 (:32~34)
死者の復活を聞いたとたん、聴衆はあざ笑い、態度が変わりました。教養のあるアテネの人々には、愚かな教えだと思えたのです。パウロは、弁明を打ち切り、その場から「出て行き」ました。この時、パウロについて「つき従って」出た人々の中には、アレオパゴスの裁判官もいました。神様はただ一人でも福音を信じ、悔い改める人が起こされることを喜んでくださるお方です。大江国二牧師は、失敗だと落胆した種子島での宣教で、主のことばによって力づけられ、祈り続けた結果、後になって多くの実を結んだことを知りました。
結 論
パウロはどんな時にも、「十字架のイエス」を語りました。パウロ自身が「十字架のことばから力」を得ていたのです。大切なことは、「信じる」と言うことは、心の中だけでなされるひそかな精神受容ではなく、異教社会の価値観から「出て行く」と言う、価値観の選択であり、生き方となるということです。福音は人を新しくし、強くする力があります。この主のことばから知恵と力をいただき、心と共に行動を伴って信頼し、従っていきましょう。