メッセンジャー:仁科宣雄師
「後退の中の前進」 ( 使徒の働き 7章 54~60節 )
多くの人が口ずさんだ「365歩のマーチ」。幸せは、一日一歩づつ歩かなくては得られないこと、進んだかと思うと後ろに下がってしまう、辛い道、面白くない道、厳しい道もある、しかし、その歩いた道にはきれいな花が咲くでしょうと、元気な歌詩とメロディでした。聖書もこのような歩みを求めています。そこには主がともに歩いてくださると言う約束があります。困難や試練が続く中にあっても前進を続けた初代教会の姿を見ていきましょう。
Ⅰ.エルサレムにおける迫害 (8:1∼4)
ステパノの出来事に続き、宗教指導者たちはエルサレム教会への迫害を強行し、使徒たち以外は、全員ユダヤとサマリヤに避難しました。福音の前進はとどめられ、大きく後退するかのように思われました。が、退避を余儀なくされた彼らは、ただ証しする場所が変わっただけとばかりに、散らされた先で宣教を続けます。その中の一人、ピリポを見ましょう。
Ⅱ、ピリポのサマリヤ伝道と魔術師シモン (8:5~25)
ピリポはサマリアでイエスを宣べ伝えます。元来、犬猿の仲と言われていたサマリヤ人が、ピリポの語る言葉や癒しの奇跡によってイエスを信じ、町に大きな喜びが沸き起こりました。この時、ササマリヤの多くの人々は魔術師シモンに惑わされていました(:9~13)。 そんな人々が、ピリポの話すキリストを信じてバプテスマを受けたのですが、魔術師シモンもイエスを信じました。そして、彼は、ピリポの働きや、エルサレムから遣わされてきたペテロとヨハネが人々に聖霊を授けるわざを見て、金銭を持参し、二人に聖霊授与の権威を求めたのです。ペテロはこれを却下し、反対に彼が抱えている問題点を指摘します(:20~23。)表向きには受洗したものの、その心は「神の前に正しくなく」、「苦い悪意と不義の束縛の中にいる」彼に、ペテロは、「この悪事を悔い改めて、主に祈れ」と命じます。これに対しシモンは、「私のために主に祈ってく」ださいと、依然として他者に依存し、自ら神に向き合おうとしない問題点が残されたのでした。使徒たちはサマリヤにおける福音宣教に尊い貢献を果たしてエルサレムに戻っていきました。
Ⅲ、遣わされる地での祝福 (8:26~40)
サマリア伝道に取り組むピリポに、主の使いが「ガザに下る道(荒野)へ行くように」と命じます。彼は命じられたとおりに、立って出かけました。すると、そこで、一人のエチオピア人の高官を備えておられました。神を恐れる異邦人である彼は、イザヤ書53章が記された写本を熱心に読んでおり、これが誰に関する預言なのか知りたいと切望していました。主はの彼の所にピリポを導き、聖書を説き明かしたのです。ピリポを通して、この預言者こそ、救い主イエス・キリストである」と、イエスの福音が伝えらました。そして、この宦官は、信仰告白としてのバプテスマを受けたのです。こうして、主の福音は、迫害により、むしろ大きく前進しました(使徒1:8)。
私たちは、朝を迎え、今日一日、あれをしてこれをしてと考えますが、その動きの中で、主は、主が必要とされる所を備えておられます。主の示される主の時を見逃さずに、主の時として生かせるためにも、「主よ、今日はどこに遣わしてくださいますか?」と祈り、一日のスタートとしていきましょう。
結 論
信仰することは自分だけでなく、家族にも迫害が及びます。しかし、聖霊によってその信仰が生きて働きました。命がけの信仰のおかげで私たちにも福音が伝えられました。新しくされた私たちも、新しい命、永遠に生きる命を、聖霊の力を受けて伝えてまいりましょう。