2022年12月25日 クリスマス合同礼拝メッセージ 「神の子とされた恵み」

メッセンジャー:仁科宣雄師

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「神の子とされた恵み」       (ヨハネの福音書   1章 9~14節 )

日本でもクリスマスを25日だけでなく、1ヶ月ほど前から部屋を飾ったり、プレゼント を用意しながら楽しむ人が増えてきましたが、何よりも大事なことは、「愛のおくりもの」をみんなに分け合うことです。プレゼントをもらうことよりもあげることを楽しみます。そして、そのプレゼントはモノだけではなく、相手がうれしいと思うようなこと、大好きだよ、いつもありがとうという気持ちを言葉や態度で表すことも素晴らしいプレゼントなのです。

Ⅰ、救い主イエスの誕生          (ルカ2:1~7)  

クリスマスの喜びの知らせを一番初めに聞いたのは、羊の夜番をしていた羊飼いたち でした。人々が「人口調査」のためにそれぞれ自分の生まれた土地に帰る中、生まれて も登録することがない羊飼いたちはいつものように夜も羊を守る仕事をしてたのです。すると突然、空が明るくなり、御使いが現れ、「この民全体に」と、羊飼いたちは民たち の代表として御使いのことばを聞きます。そして、「今日・・・、あなたがたのために救い 主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」と続きます。それは大きな喜びで あると宣言されたのです。 一方、ヨセフとマリアは、ベツレヘムの町に着いたものの泊まれる部屋はなく、家畜小屋でようやく体を休めることができ、マリアは赤ちゃんを産んだのです。このような場所が、すべての人の苦しみを知り、罪から救い出す者にふさわしい場所とされたのです。イエスが静かな夜、せまくてくさい家畜小屋でお生まれになられたことには意味がありました。

Ⅱ.真の光なるイエス・キリスト              (ヨハネ1:9~11)

イエスは「すべての人を照らすまことの光」として来られました。私たちの心の奥までも 照らすことができる光です。良いことのためにはさらに進める力を与え、神の目に正しく ないことのためには、それを罪として示し、その罪を赦すためにイエスは来られたのです。 イエスは、私たちの罪の身代わりとして十字架にかかられるという罰を受けてくださり、そ れによって私たちは罪なき者とされ、いつまでも神と共に生きる命、永遠のいのちをいた だくという神の救いのご計画を完成するために来られたのです。 しかし、世の人々はイエスを受け入れませんでした。それは、神様との断絶を意味しま す。私たちは神に願い事をすると同時に、自分は神に受け入れられる者なのかを問わ ないといけないのです。それほど神と人間の思いには違いがあることを覚えましょう。

Ⅲ、神の子とされる恵み               (ヨハネ1:12~14)

神様は、わたしたちのことを愛する対象として造ってくださいました。神の愛は、結婚して愛しあう夫婦が愛するわが子を欲しいと願う以上の愛情です。そして、どのような子であっても産みだした時の愛情を持ち続けてくださっているのです。 羊飼いたちはこの社会では蔑まれ、数にもいれてもらえない人々でした。しかし、彼らの心は、「こんな自分でも」背後にある神の愛によって生かされているという信仰によって守られていたのです。神様はそれをご存知で、その思いにこたえるかのように救い主誕生を誰よりも先に告げ知らせたのでした。神様は、同じようにイエスが救い主としてお生まれになったことを信じる私たちを、「神さまの子ども」としてくださると約束しています。

結   論             

私たちをかけがいのない子として愛し続けていてくださる神様の深い愛を覚えて、心から感謝しましょう。神であるイエスが人となって貧しい所で生まれ、十字架にかかられたその生涯が私たちのためであることを覚えて、主イエスの御名をほめたたえつつ、真のクリスマスをお祝いしましょう。

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