メッセンジャー:仁科宣雄師
「水をぶどう酒に変える神」 (ヨハネの福音書 2章 1~11節 )
新年を迎えて、誰もが今年はどんな年になるだろうと思うことですが、それは、どんな年にしたいか、それぞれに求められていることでもあります。社会の一員として主に遣わされている自覚と喜びを覚えつつ、主の恵みを数えていく年となりますよう願い、祈ってまいりましょう。そのために、主は困難な中にも主の御手があり、わたしたちが望む以上のものを備えていてくださる主のみわざを見せてくださいます。
Ⅰ.婚礼での失態 (2:1~3)
イスラエルの結婚の宴は一週間も続き、人々にとってこれは特別な楽しみの時です。
この日、カナにおいて祝宴があり、イエスと弟子たちも招かれていました。大いに喜び楽しむ宴席の真っただ中で、なんとぶどう酒が尽きてしまったのです。結婚する二人は精いっぱいの用意をしていたことでしょうが、集まってくれた客に対しての失態であり、喜びの席が台無しになりかねない事態です。しかし、その宴席にイエスがおられたということは、本当に大切な事でした。
Ⅱ.マリヤの信頼、しもべ達の忠実 (2:3~10)
この結婚式でイエスの母マリヤは主催者として何らかの責任ある立場にあったようです。
・イエスに訴える…マリヤは、現在の窮状のありのままを、イエスに告げます。イエスが必ず最善をなされるという信頼
がありました。イエスは、「女のひとよ。私の時ではありません。」と,不親切とも思える返事を聞い
ても、マリヤの信頼は揺らぐことはなかったのです。
・しもべ達に言いつける…そこで、マリヤはしもべ達にイエスの言われることは何でもするようにと前もって言いつけま
した。困難や危機の中で為すべもなく無為に過ごすのではなく、主に信頼し、期待し、今なす
べきことを成し遂げることが大切です。
・しもべ達の忠実な働き…しもべ達は、マリヤに言われた通り、イエスに命じられたことを、誠実かつ忠実に、すべての
かめにふちまで水をいっぱい入れました。「こんなことをして何に…」と、不信を持っていた
なら、従えないでしょう。彼らにもまた、自分たちの理解を超えて、イエスがなされることへ
の期待があったのではないでしょうか。その期待は見事に応えられたのです。奇跡をおこなわ
れたのはイエスですが(水をくんだ僕たちは知っていた)、そのみわざを引き出した「マリヤ
の信頼としもべ達の従順」があったのです。
Ⅲ.神の栄光が現れるため (2:11)
しもべ達が汲み、持っていった水はいつの間にかぶどう酒となりました。料理頭はその素晴らしい味わいに驚き、褒めました。イエスは、婚礼の失態を祝福へと変えられたのです。「そして弟子たちはイエスを信じた」と、この奇跡の本当の意味と目的は、神の栄光を見せ、弟子たちがイエスを神の子、救い主と信じるためでした。ヨハネはイエスが神の栄光の御姿を表すためにこの世に遣わされたこと、そして、「神の子羊」として人の罪を赦し、死から命へと、救うことのできる救い主であるということを記し、この最初の奇跡こそ、これからイエスの働きとなる「変化」をもたらす神の祝福であると記しています。人間の魂の救いほど大きな変化をもたらす奇跡はないのです。
結 論
どんな危機の中にあっても、信頼して祈り求める時、困難を取り除くのではなく、主は共にいて、御力をもって私たちの状況を変え、私たちを変革してくださいます。そして、私たちが思う以上の神の祝福を備えていてくださるのです。何よりも「こんな私が救われた」この奇跡、この素晴らしい経験を土台として、この一年、主の御力を信じて疑わず、主にあって「変えられる」ことの祝福を見させていただきましょう。