2022年4月24日 主日礼拝メッセージ 「託された使命」

メッセンジャー:仁科宣雄師

目次

「託された使命」          マタイの福音書  28章16~20節

食べることは生きること「はなちゃんのみそ汁」という本、映画があります。がんと診断を受けた若いお母さんが、4歳の娘に「健康に生きる力がついていれば・・・」という願いを「おみそ汁」に託し、だしから作るみそ汁を教えたのです。妻のチエさんを亡くし、自暴自棄に陥っていくおとうさんに、はなちゃんがみそ汁を作ります。お父さんは、感動を受け生きる力を得て、「いのち」をつなぐこととなったのです。人の命は限りがありますが、残していくものによって命をつなぐことができることは幸いです。

Ⅰ.イエスの権威   ( 28:16~18 )

イエスは復活されてから昇天するまでの40日間、多くの弟子にその姿を現されました。イエスは、ガリラヤが宣教の場であることに心を向けておられました。弟子たちは、イエスのことばに従い、ガリラヤに行き指示された山に登ります。そこでイエスは、「わたしには天でも地でも一切の権威が与えられている」と告げました。救いの使命を完全に果たした証しとして、父なる神から「与えられた」権威であり、死から復活なさったイエスは、神としての揺るぎない権威(力)を行使なさるのです。

Ⅱ.宣教命令と約束    ( 28:19~20 )

この権威を受けて、「あらゆる国の人々を弟子とせよ」と告げます。
まず、「行って」…復活を「疑う弟子たち」に対し、主のほうから接近されたように(:18)弟子たちも自分のほうから人々のもとに赴くことを指示しています。「あらゆる国の人々に」…神の特権、新しいいのちの約束は、すべての人に及ぶのです。「弟子としなさい」…神を信じるだけでなく、仕え、主の心を心とする弟子をつくること。「バプテスマを授け」…自分の身をもって死と復活の確信をもち、公に信仰を表し、神の家族としての祝福にあずかるためです。そして、人の考えや都合ではなく、聖書が教える「主の命令を正しく教え」導くことが指示されています。

Ⅲ、命令に伴う約束    ( 28:20 )

こうしてお姿を現され、ビジョンを示されるイエスに弟子たちは期待します。イエスと一緒に神の国を建て上げていけるとワクワクします。しかし、イエスは天に帰ると言われるのです。11人の名もないガリラヤ人が世界に遣わされるとは、途方もないことだったでしょう。
まず、「行って」…復活を「疑う弟子たち」に対し、主のほうから接近されたように(:18)弟子たちも自分のほうから人々のもとに赴くことを指示しています。「あらゆる国の人々に」…神の特権、新しいいのちの約束は、すべての人に及ぶのです。「弟子としなさい」…神を信じるだけでなく、仕え、主の心を心とする弟子をつくること。「バプテスマを授け」…自分の身をもって死と復活の確信をもち、公に信仰を表し、神の家族としての祝福にあずかるためです。そして、人の考えや都合ではなく、聖書が教える「主の命令を正しく教え」導くことが指示されています。
南米エクアドルの奥地に住むアウカ族に福音が伝えられたことには、5人の若い宣教師たちの命の犠牲、36年という年月が費やされました。神の愛を伝えるためにわずか800人の部族のために、聖霊によって導かれた聖書翻訳だったのです。

結  論

イエスの死と十字架を信じて救われた者は、自分の救いを喜ぶだけに留まらず、それを人々に伝えていく責任があります。それは、永遠の命をつなぐことに他ならないからです。弟子たちを中心に建て上げられた教会は、この日以来福音宣教のために働く群れとしてその使命を受け継いできました。この世との戦いである現状は厳しいですが、このバトンを放っておくことはできません。一人が頑張るのではなく、教会員一人ひとりが同じビジョンに立ち、主の御業、教会のわざとして祈り求め続ける時、主も共に働かれます。私たちが受け継いだ救いの恵み、永遠のいのちの約束をさらにつなげてまいりましょう。

アーカイブ

目次