メッセンジャー:仁科宣雄師
「復活されたイエス」 マタイの福音書 28章1~10節
新聞のニュースは事実を伝えるのが原則ですから信頼して読めるのと、各社の新聞を読み比べていくと、より一層見えてくるものがあります。聖書は、4福音書ともに十字架と復活に多くのページをさいています。それらは時系列が合わなかったり、人の言葉に矛盾があったりするのですが、じっくりと読み合わせていくと神のみこころが見えてきます。
イエスは、十字架におかかりになる前に3度ご自分の死と、3日目のよみがえりを予告していました。しかし、弟子たち、従っていた女性たちも、愛する主の死はあり得ないこと、あってはならないことと「死」を否定しており、誰一人、主のことばを覚えていなかったのです
Ⅰ.復活を恐れていた人々 ( 27:62~66 )
しかし、イエスに敵対する者たちは覚えていました。それ以上に主の復活を恐れていました。土曜日、宗教指導者たちはローマの地方総督ポンテオ・ピラトを訪問し、弟子たちがイエスの死体を盗んで「生き返った」と言い広めれば面倒なことになる、と相談を持ち掛けます。しかし、本当はイエスが生きていると自分たちの立場が悪くなると、イエスの復活を恐れていたのです。ピラトは、墓は封印し、見張りの番兵たちを立たせることにしました。
Ⅱ.復活されたイエス ( 28:1~8 )
イエスの生涯は死んで終わりではなく、「さて」で始まる新しい展開が続くのでした。イエスの弟子であった女性たち三人は、日曜日の朝が明けるのを待って墓に向かいました。急いで葬られたイエスの体に香油を塗り、改めて丁寧に葬りたかったのです。墓の入り口は大きな重い石で封印されていたはずですが、イエスのことを思うばかりに足は墓へと向かっていました。女性たちが墓に着くと、突然大きな地震が起き、主の使いが天から降りてきて、墓を封印していた石は転がされたのです。
神は、私たちが神を愛し、信仰生活を進めて行く上に妨げとなる石を取り去ってくださいます。自分の内にあるガンとした思い込みこそ大きな石であることが多いのです。その自分自身の思い込みを主は崩し、道を開いてくださるのです。
突然の出来事にその場にいた番兵たちは、怖くなって震えあがりました。御使いは女性たちに「恐れることはありません」と声をかけます。今や主は「よみがえられた」。それは「前から言っておられたとおり」の成就であると指摘し、このことが神のみわざであることを示すのでした。そして、そのことを弟子たちに伝える使命が託されます。
Ⅲ、「ガリラヤに行け」新しい出発 ( 28:9,10 )
女性たちが急いで伝えようと走り出した時、復活したイエスご自身が現れて、主自ら「恐れることはありません」と声をかけ、他の弟子たちに「ガリラヤ」での再会を伝えるよう命じられるのでした。「ガリラヤ」は、イエスが幼少期を過ごし、公生涯を開始し、その全土にわたり数々のみわざをなされた地です。その「ガリラヤ」は主と弟子たちにとって原点でありましたが、懐かしい故郷、様々な思い出のもとに「帰る」のではなく、これから新たに「行って」進むべき道があるというのです。「ここにはおられない」と、死と暗黒に留まることはなく、神はイエスをよみがえらせ、「ガリラヤから」全世界の人々を救うご計画を進められたのです。
結 論
イエスの復活は、全ての負を勝利に導く、主と共に歩む道を開いてくれる力です。日々イエスご自身の「福音」のことばから、新たな力をいただいて悪に立ち向かい、進み続ける力です。私たちの行くべきガリラヤは「主のもと」であり、新しい使命を与えてくださいます。私たちを愛し、死んでよみがえられた主の恵みを心から喜び、賛美いたしましょう。