2023年5月21日 主日礼拝メッセージ 「人類最初の罪」

メッセンジャー:仁科宣雄師

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人類最初の罪」                            創世記 3章8節~24節

同じ言葉を聞いても、聞く人が違えばその受け取り方は様々であり、その言葉が、行動をもたらし、人生が変わるほどに影響を及ぼすことになるのです。 神が創造されたすばらしい世界で、なぜ不幸な事件が起こるのでしょうか?永遠のテーマと言えるこの問いは、一人の人が神の言葉をとり違えたことから始まったとも言えるのです.

Ⅰ.蛇の誘惑、罪の本質        (3:1~7)

神に造られた最初の人間が、ただ一つの神の命令を破り、罪を犯します。聖書が示す罪とは、「的外れ」を意味し、本来あるべき所からずれている状態を指しているのです。 エバは、「必ず死ぬ」と言われた神の裁きのことばを「死ぬといけないから」と曖昧にし、 みことばの権威をないがしろにしました。エバは蛇に惑わされ、神のことばを疑い、命令に背いてしまうのです。アダムもまたエバに勧められて実を食べ、神の命令に逆らいました。人間は、自分の知性と愛の力を過信し、神に従わなくても自分で幸せになれると思い込みました。こうして罪と死の歴史が始まったのです。

Ⅱ.目が開かれて知る罪の結果        (3:8~13)

身を隠す二人に、神は「どこにいるのか」と…尋ねますが、それは、「存在」のありかた、神との関係においてどのような状態にあるのかを問われたのでした。しかしアダムは、自分の「裸の姿」を嘆き、その惨めな状態を神の前に出すことを恐れたのです。裸の恥ずかしさと無防備であることへの恐れのために、人はイチジクの葉で「おおい」ます。しかし、この感情こそ、神のあわれみによるものでした。その感情が罪を制御し、悔い改めへと導くからです。罪を犯しても恥もやましさも恐れも感じなくなれば、人は何でもするようになります。神は今も闇の支配に隠れる人を、「真の赦しを与えようと」捜し続けておられるのです。 二人の素直に罪を認めず、自己弁護をする責任転嫁も罪の性質の一つです。 一緒に罪を犯した二人に一体感はなく、麗しい二人の関係は破壊されてしまったのです。 サタンの目的は、破壊、滅び、虚無です。サタンも罪人もひたすら、破滅と虚無に向かっているのです。

Ⅲ.さばきの宣告と救いの預言        (3:14~24)

蛇であるサタンは、呪われた存在とされます(14,15節)。同時にこの箇所は、最初の福 音とも呼ばれます。「彼はおまえの頭を打ち」の「彼」とは究極的にはキリストを指し、蛇で あるサタンは「彼のかかとを打つ」=イエスを十字架の死にまで追いやるが、イエスは復活 し、サタンの頭を打ち、死を滅ぼされたのです 女と男には、死ぬべき人が苦しみつつも命を生み出し、労働によって食糧を得る ことが許されたのです。そして、二人に「皮の衣」を着せてくださいました。 アダムとエバへのさばきは厳しさの中にも神の愛とあわれみがありました。動物の 血を流し、犠牲にして作られた皮の衣は、「イエスの贖い」の象徴です(ガラテヤ3:27)。 愛であると同時に義でもある神は、罪をそのまま見過ごすことはなさらず、二人は、エデ ンの園から追放されました。いのちの木から食べることはできなくなり、「一時的な死」を味わいます。しかし悔い改めて主の救いにあずかったものだけは再び「いのちの木」から食べることを許されるのです(黙示録2:7,22:2,14)。

結  論 

生まれた時から罪をもって生まれる私たち人間ですが、 関係回復の道はすでにイエスによって開かれています。日々、神の御声とサタンの声を聞 き分けつつ、この神の愛と義に生きる者とさせていただきましょう。

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