2023年6月4日 主日礼拝メッセージ 「罪を治める神の御力」

メッセンジャー:仁科宣雄師

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「罪を治める神の御力」                           創世記 4章1節~16節

今日とりあげる「カインとアベル」は、一般でもしばしば使われる題材ですが、その多くが兄弟二人の確執がテーマで、殺人へと進むというものです。世界で最初の「殺人」として、興味本位で取り上げるだけではなく、人間の持つ罪の本質を知り、その真の解決から救いについてまで学ぶ機会となってほしいと思わされることです。

Ⅰ、カインとアベルのささげもの    (4:1~4 )

アダムとエバは罪を犯してエデンの園から追放されましたが、神は二人の歩みを見守っ ておられました。やがて二人の子どもが与えられ、成長した兄のカインは農夫、弟のアベルは羊飼いとなります。罪の影響を受けていても、神が与えた人間の使命は変わることがなく、同時に神の国の祝福を回復する道は「主への捧げもの」において残されていました。それぞれの仕事で、祝福を得たカインとアベルは、主にささげ物をします。神は、弟アベルのささげた「羊」には目を注がれましたが、兄カインのささげ物には目を留められませんでした。神はそれぞれの信仰と礼拝の姿勢をご覧になっていました。アベルは、生活の全てに感謝をこめ、最も良い羊を選んでささげたのでしょう(へブル11:4)。カインは、捧げることはできましたが、自分の力を評価してもらおう、弟には負けないと、祈って最善をささげたのではなかったのです。私たちはこの世に生きる者として、時には最善でないと分かっていながら捧げるという場合もあります。それをありのまま申し出ることが大切です。神への捧げものは誰かと比べるものではないことに加え、真実なものであることも覚えましょう。

Ⅱ、怒るカインと主の警告       ( 4:5~8 )

カインは、自分が神に無視されたと思ったようです。兄としてのプライドも傷ついたのでしょう。神に心を閉ざし、顔を伏せたのです。その腹立ちは、弟アベルへの激しい妬みに変わります。そんなカインの「怒り、憎しみ」を見抜いて、神は自分が罪を犯していることに気づき、悔い改める機会を与えますが、カインは神の前に顔を上げて自分の心の内をぶちまけることなく、憎しみをつのらせ、ついに「殺人」へと進んでしまうのです。 一方、何の悪いことをしていないアベルの無念さは、「アベルの地が大地から叫んでい る」と表現されるように、神の正しい判断を求めて叫んでいます。このアベルの死は、イエスと重なります。神の救いのご計画の中にある「十字架の死」でしたが、人々の妬みによって死に渡されました。そして、その流された血によって、神は力強く語ります。その叫びは復讐ではなく、あわれみでした。「良い羊飼いは、羊のためにいのちを捨てる」と、私たちの罪のために血を流された主の祭壇は、何にもまさって尊いものなのです。

Ⅲ、主の裁きとあわれみ     (4:9~16 )

神はすべてをご存じであり、何度でも悔い改めのチャンスをお与えになりますが、応えないカインに「さすらい人」として、むなしく、不安な日々を過ごすこととなると断罪します。カインは自分の犯した罪の大きさに気づくも、真に悔い改めることはなく、その刑罰に嘆き悲しみ、自分の身を案じて恐れおののくのでした。しかし神は、どこまでも、カインを愛し、再び神と共に歩む日が来ることを待ち望んでおられるのです。 八木重吉さんの言葉に「私は、床の間にキリストの磔(はりつけ)の図をかけておく。その前ではとうてい人を憎み通せない」とあります。

結  論

私たちの心は罪を犯す者ですが、神はそんな私たちを愛し続けてくださいます。常に神に心を明け渡し、神の御力によって罪を治めさせていただきましょう。そして、神の正しさに裏付けされる真の平安を、この世に表していきましょう。        

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