メッセンジャー:荻窪栄光教会 井上義美師
「回復の約束」 (イザヤ書 35章 1~10節 )
この4年間は世界的なパンデミックの中、ご苦労が多かったと思う。コロナ以降の時代に御心を求め、宣教をどのように果たしていくのかを求めていきたい。
Ⅰ.亡国からの回復
今朝はイザヤ35章が開かれてきた。イザヤ書は細かく分けられるが、2つに区分すると前半は1~9章、後半は40~66章になる。35章の後の36~39章はヒゼキヤ王の世にアッシリアが攻め寄せてきた歴史を記している。預言の前半の締めくくりはこの35章になる。この時すでに、北王国イスラエルは20年前にアッシリアによって滅ぼされている。アッシリアにとって、小さな南王国ユダなど問題ではない。アッシリアが攻め寄せて来ようとする危機は常にあった。イザヤの預言はやがて国は亡び、バビロンに捕らえ移されるが、再びイスラエルの地に帰る日が来るという回復の約束である。
Ⅱ.全ての面の回復
35章はこの後、大変な時代を迎えるが回復があるという回復の状態を詳しく語る。
1)心と精神の回復:「心騒ぐ者」(4節)とあるように、何時敵が攻め寄せてくるかもしれないと言う恐れと緊張が常にあっ
た。精神的な危機があった。神様は、「強くあれ。恐れるな。見よ。あなたがたの神が、復讐が、神の報いがやって来
る。神は来て、あなたがたを救われる。」(4節)と語られた。神様が敵を打ち負かし、救い出してくださるという力強い
約束がある。
2)肉体の回復:「目の見えない者、耳の聞こえない者、足の萎えた者、口のきけない者」(5・6節)には障害がある人たち
が出てくる。悲しいかな二千五百年以上前の世界で顧みられない存在であっただろう。目が開かれ、耳は開けられ、鹿
のように飛び跳ね、喜び歌うとあり、奇跡が起こされる。
3)国土の回復:1節の「荒野、砂漠、荒れ地」にはサフランが花咲き、6・7節の「荒野、荒れ地、焼けた地、潤いのない
地、ジャッカルが伏したねぐら」は水が湧き、川が流れ、葦やパピルスが茂る。国土が豊かに潤い、命があふれる。 物
質も肉体も精神も、あらゆる面における回復がなされて、健やかになる。
Ⅲ.霊的・信仰的な回復
神様の回復は物質、肉体、精神に及ぶのでそれで十分と思える。神様による回復の恵みははるかに優り、霊的な回復、復興がなされていく。8節「大路」は英訳ではハイウエイ。人の手によってできるだけ真直ぐに、頑丈に造られた道である。「聖なる道」として神様が造られ、エルサレムにつながる。主に贖われた者がシオンへと帰っていく道(10節)とは、イエス様の十字架の血潮によって贖なわれた者たちが歩む道である。イエス様は私が道、真理、命である(ヨハネ14:6)と言われた。イエス様による贖いの業は十字架による死によってなされた。イエス様は私たちが神様の元へと、聖なる都エルサレムへと歩むために道となってくださった。この救いに生き、この道を歩むならば私たちが迷い出ることは決してない。
結論
西国三十三カ所お遍路さんの笠に同行二人(どうぎょうににん)と書いてある。弘法大師・空海が共におられるという信仰を表す。イエス様は私たちと共に歩まれている。さらに、私たちは同信の友として、共に支え合いながら歩んでいる。同行は二人だけではない。神様につながるただ一つの道を、私たちは共に歩んでいこう。 |