メッセンジャー:仁科宣雄師
「地の塩・世の光とされた恵み」 (マタイの福音書5章13~16節)
主イエスは、イエスを信じて救われた人々が、どのような役割をもっているか、私たちの生活の中で欠かせないものをとりあげて教えてくださいました。
Ⅰ.地の塩 (13節)
古代、塩は神と捉えられたり、貨幣の役目をするなど貴重なものでした。現代も貴重です ①純潔なきよさ…光り輝く白さが純潔を思わせました。塩は汚れを清めます。クリスチャンはイエスの死によって罪赦され、聖くされていることを覚えましょう(Ⅰヨハネ1:9)。 ②防腐剤として…塩は肉や魚、野菜などの腐敗を防ぎまます。この地には悪が満ち、不正がはびこっています。クリスチャンはこの腐敗し、崩れつつある社会の中に入っていき、塩の役目を果たす使命を受けているのです。 ③調味料として…じっくりと食材のうまみを引き出し、食べ物の味を引き締めます。また、正反対の甘みを引き立てます。そのように主の弟子も、祈りつつ、この地で主の知恵をもって行動し、周囲に良い影響を与え、親切で塩気の聞いた言葉で人々を生かす働きが期待されています(コロサイ4:5,6)。 イエスは弟子たちに、不純物によって塩気をなくさないようにと注意されました。 周りを明るくするムードメーカーも頼もしいですが、その人がいると、みんなの気が休まる、自由な雰囲気になるという役目も素晴らしいことです。「盛り塩」が福を呼び込むためのものでもあるように、地の塩としての私たちが真の幸いをもたらすことができるのです。
Ⅱ.世の光 (14,15節)
①人に見られるために…町に光が灯されるなら、その町は隠れることができないように、暗闇の世の中で光を受けた主の弟子は、光を隠すことができないのです。自分で発光するのではなく、月が太陽の光を反射して輝くようにイエスの光によって輝きます。日曜日だけクリスチャンで、平日は社会の中に隠れてしまう信仰生活を送っている人は少なくありません。そんな葛藤の中で、主の光として生きることを選び取れるよう、イエスは、愛と赦しを与え、隠しようがないほどの喜びを与え、世にあって輝かせてくださるのです。 ②暗闇を照らすために…私たちには悪が暗躍する闇夜を照らす使命があります。主の光は悪を明るみに出し、悪に手を染める人々に警告を与えます。主の光は闇路でさまよう人の道しるべとなり、真理であるイエスへと導きます。そして、主の光は暗闇の誘惑に負けて倒れている者に、励ましと希望を与えて再び立たせることができるのです。 イエスこそ本物の光であり(ヨハネ8:12)、イエスだけが罪の中でもがき迷う人たちを強い光で目的地に導くお方です。このイエスの光を反射させてイエスを証しするのです。
Ⅲ.父なる神が崇められるための光 (16節)
「良い行い」とは、単に善いばかりでなく、魅力的なという意味も含んでいます。それは外見や能力においての魅力的なのではなく、人の心をとらえる人のことです。 クリスチャンである私たちの善い行いを見て、それをさせてくださる原動力に目を止め させ、その神を崇めることへと導けたなら幸いです。それは簡単な事ではありません。パウロは、人々の心が覆いで隠されている現実にあって、私たちは弱くてもろい、土の器であるが「計り知れない神の力」が働くためであると語ります。(Ⅱコリント4:1∼7)
結 論
私たちを罪から救い、変化をもたらし、善い行いをする思いと力を下さったのは神です。罪人だった自分を通し、人々が神の光を見るという奇跡を神はどんなに喜んでくださることでしょう。そのことを喜び、「地の塩、世の光」として歩んでまいりましょう。 |