メッセンジャー:仁科宣雄師
目次
「預言の成就 」 ( マタイの福音書 2章 13~23節)
不可能と思われる状況であっても、一つの信念をもって進めることで結果が残されることは少なくありません。「人」を造られた神は、最後まで共に生きたいという愛ゆえに「救い」の道を計画され、それが「人」を通して確かにされていきます
Ⅰ.ヨセフの決断
ヨセフにとって、マリヤの受胎告知の話を聞いた時以来、度々大きな決断が迫られました。今日の箇所でも決断を要します。これだけはっきりと「夢」で語ってくださるなら、私たちも行動できるのにと思うお互いですが、ヨセフの信仰がその御声を引き出したとも言えるでしょう。神は、救いのご計画を進めるために、みことばを通して語っておられるのです。
Ⅱ.預言の成就
- エジプトへの避難にみる(2:13~15)
東方の博士たちの帰路を守られた神はイエスたち家族をも守られます。ヘロデの手から逃れるためヨセフの夢に現れ、「エジプトへ逃げよ」と命じます。彼らは即座に決断し夜のうちに行動しました。この「逃げよ」という言葉が示すのは単なる逃避行ではなく、預言者を通して語られたこと(ホセア11:1∼8)の成就であると聖書は言います。神は、「わたしの子」イエスをエジプトへ向かわせ、そこから「呼び出した」のですが、それによって、イスラエルが台無しにしてしまったエジプト脱出を、イエスが回復、完成させるのです。加えて、出エジプト以来の罪の贖いをも示唆しています。この神の導きは、一家の避難を越えて、イエスが完全な贖いを果たし、民を真の解放へと導くメシアであることを世に示すことでした。 - 「幼児殺害」にみる(2:16~18)
一方、へロデ王は、博士たちに「欺かれた」と怒り狂います。自分の手は汚さず「人を遣わし」、イエスを殺すために2歳以下の男児殺害を計るのでした。エレミヤはイスラエルの滅亡を預言し、バビロン捕囚という結果を見ましたが、今回の幼児虐殺こそが滅亡の預言の最終成就ともとれるのです。王に殺され、イエスの犠牲になってしまった男児たちの無念が残ります。しかし、エレミヤは「あなたの子らは自分の土地に帰ってくる(エレミヤ31:17)」と、その詳細は不明ではありますが、神にあって「帰ってくる」という希望が示唆されています。このことを踏まえた「成就」であると、厳粛に受け止める必要があるのです。 - 「エジプトからの帰還」にみる(2:19~23)
再び、ヨセフは夢でイスラエルの地に帰るよう示されます。しかし、そこではヘロデ王の息子が王になり人々を苦しめていました。再び夢を通して、イエス一家は「ガリラヤのナザレ」に向かうこととなるのでした。これらの「成就」において、ヨセフが絶えず聖書の預言書の言葉を意識しながら、その通りになるよう行動したということではありません。むしろ目の前の事態に振り回されながらも、できるかぎりの対応をし、信仰をもって主に従い続けた結果、振り返れば時代を超えた神の計画が実現していた、ということをマタイは伝えているのです。
結 論
みどり子イエスの誕生は無力な存在ながらも、その預言の成就によって神の救いのご計画が見えてきました。「一人の魂を救わんがために」その計画なされたことを「すべて成し遂げてくださる」と約束して下さる主に、勇気と希望をいただいて、この一年を感謝し、新しい年を迎えましょう。