メッセンジャー:仁科宣雄師
「ヨセフに与えられた賜物」 (創世記 40章 5~23節)
本日の御言葉(ローマ人への手紙 5章5節)
希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が
私たちの心に注がれているからです。
神様は一人ひとりに賜物を与えてくださっていますが、自分に与えられた賜物を自覚することは,大きな自信となり、他者と比較することをとどめてくれます。それ以上にその力が自分の力ではなく、神からのものと認める時には高慢の罪から守られるのです。ヨセフに与えられていた賜物=特別な夢+夢を解くこと+信仰でした。
Ⅰ.奴隷になっても、囚人になっても祝福されるヨセフ (39章3~23節)
兄たちに売られたヨセフはエジプトで王に仕えるポティファルの家の奴隷となります。彼が真面目に良い仕事をするのを見て、ポティファルは、「お前には本当の神様が一緒におられるに違いない。」と、ヨセフをそのようにされる神を認め、彼の全財産の管理を任されるほど、ヨセフは信仰者としてポティファルの信頼を得たのでした。そんなヨセフをポティファルの妻が誘惑してきます。このことが、ポテファルの信頼を裏切るばかりか、神の喜ばれない罪であることを知るヨセフは、彼女を拒絶すると、反対に彼女は怒り、ヨセフは濡れ衣を着せられ、監獄に送られてしまうのです。
しかし、そこでも主がヨセフと共にいてくださいました。ヨセフは監獄の長に信頼されるようになり、すべての囚人の世話を任されるようになりました。理不尽とも言える仕打ちを受けても、ヨセフの心は常に主と繋がっており、主はヨセフに苦しみを乗り越える力を与え、大いに祝福してくださったのです。
Ⅱ.神によって夢を解き明かすヨセフ (40章、41章 1~45節)
その監獄で、ヨセフは王の怒りをかった献酌官長と料理長の付き人とされます。2人の顔色が悪く、それが「変な夢を見て、その理由がわからないからだ」と聞くと、「神が説き明かしてくださる」と言って、彼らの夢を解き明かします。そして、彼の解き明かしとおり、献酌官長は釈放されることになり、料理長は処刑されたのです。ヨセフは献酌官長に、「私が監獄から出られるように王に取り計らってほしい」と頼みます。この頼みを不信仰と言えるでしょうか?私たちは神を信じているからと、現状を受け入れるだけでなく、より良い道、神のみこころを祈り求めることも必要です。(=イエスのゲッセマネの祈り)
2年後、王が不思議な夢を見てその夢を解く者を捜していた時、献酌官長はやっとヨセフのことを思い出し、ヨセフは王の前でその夢を解くこととなったのです。「7年の大豊作の後に7年の大飢饉…」と、神が告げられたことを伝えその対策も進言し、王はその時に備えました。14年後、王の夢が現実となり、神の御力が崇められたのです。
Ⅲ.与えられた賜物を生かしたヨセフ
ヨセフは願いが聞かれなかった2年間、「神の時」の意味を訓練されたのです。神のご計画はヨセフの思いや想像をはるかに超えていました。神はお定めになった「時」に最善のみわざをなされることを信じましょう。讃美歌318を詠ったフィベ・ブラウンも試練の時を神が共にいてくださる豊かな恵みの時としました。
♪煩わしき世を しばし逃れ たそがれしずかに 一人祈らん
神よりほかには聞く者なき 木陰にひれ伏し 罪になげく
憂いも悩みも父の神に ゆだねまつるこそ 喜びなれ
わが世の日陰の消ゆる時も みちかいのもとに かくてありなん。♪
結 論
「信仰」は全ての人に与えられる神の賜物です(エペソ2:8)。同時に一人ひとりに「特別な賜物」を与えておられます。聖霊を注ぎ続け(ローマ5:5)、 神の救いのみわざに用いてくださる神を私の「主」とし、御声を聞き取ってまいりましょう。