2024年7月7日ティーンズ・バイブルキャンプデー礼拝「嵐を静めるイエスの権威」

メッセンジャー:仁科宣雄師

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「嵐を静めるイエスの権威」       (マルコの福音書 4章 35~41節)

本日の御言葉(マルコの福音書 4章41節)
 風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。    

イエスは4章で、多くの群衆や弟子たちに3つの譬えを用いて神の国について教えられ、その証しを自分のそばにいる弟子たちを丁寧に育てようと奇跡を見せられました。

Ⅰ,「予想を超える嵐」    (4章35~38節)

 多くの群衆を前にして、神の国について語られたイエスは、解散後、弟子たちには「向こう岸へ渡ろう」と言われます。弟子たちは少なからず私たちは特別だと、優越感を覚えたでしょう。ためらいもなく漕ぎだしました。弟子たちの中にはこのガリラヤ湖で漁をしていた者が4人います。勝手知ったるかつての職場・・・すると突然、山おろしの風は坂巻き、先に進むのが困難、と言っても、ペテロたちはこれくらいは想定内と考え、これまでの経験と能力で対処できると考えたでしょう。しかし、予想をこえる激しい突風で、命の危険を感じるほどの激しい嵐に、弟子たちは動揺します。
 イエスのことばに従って舟を出したのに…「先生、私たちが死んでもかまわないのですか?」と、死の恐怖に包まれ、脅しともとれるような勢いです。しかし危機に直面し、当然、師と仰ぐイエスが助けてくださるという期待感があって、主に訴えているともとれます。そんな弟子たちの声を聞きながら、イエスは嵐に翻弄される弟子たちを見もせず、助けもせず、眠っておられたのです。彼らは、予想外の状況にあわてふためいて、共におられるお方がいること。それが神の御子、救い主であり、私たちを気にかけ、愛してくださっていることを見失っていたのです。
 私たちは、神様はこの状況で必ず助けてくださるはずだ」という信仰と期待を抱いて祈りますが、その期待が自分の強い要求になっていないか、見直すことが必要です。

Ⅱ.「嵐を静める一声」      (39節)

 弟子たちの非難めいた声を聞いて、イエスは起き上がると開口一番風を叱り、湖に命じました。この「風を叱り」とは、イエスが伝道を始めたとき、汚れた霊に取りつかれた人に対して「黙れ、この人から出て行け!」と叱った時と同じ言葉です。それは、この嵐、突風の背後に、人々の命をねらうかのような悪霊が働いていると人々(弟子たち)が恐れていることを意味していると言えるのです。嵐は一瞬にして静まり、穏やかな湖となりました。イエスは言葉をもって事を成す全能の創造主、この世界を支配なさる神ご自身なのです(詩篇89:8~9)。イエスが寝ておられたのは「船尾」。船頭がいつもすわっている重要な所であり、錨が格納されている所です。イエスは舟の舵取りを弟子たちに任せ、安心して眠り、いざという時には最も重要な舵を握っておられたのです。

Ⅲ.「親方なる主イエス」      (40~41節)

 目の前で嵐を静められたイエスを見て、彼らは非常に恐れ、心が騒ぎ立ちます。イエスはそんな彼らに「信仰は?」と問います。それまでに聞く耳の重要性、神の国の成長を聞いた後のことです(4:1~34)。彼らは、畏敬の念に満たされましたが、まだ【イエスは神の子】との断言には至らず、驚嘆で終わっています(:41)。それでも、全能の神の御子イエスが共におられることの真実を体験することができました。イエスは、信仰が無いと弟子たちを責めるのではなく、ご自身の力を理解させて信仰を養おうとされたのです。信仰は、主のことばに従う中で少しずつ成長させられていくのです。

結   論 

 「私たちの船頭は主イエス!われらの親分は王の王,主の主!」と、どんな状況に置かれても、全能の生ける神、主イエスが守り導いてくださることを信頼するために、主を礼拝し、その御声に従い、主の御力を体験してまいりましょう。

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