2024年7月21日 教団伝道デー礼拝メッセージ「主に遣わされて生きる」 

メッセンジャー:仁科宣雄師

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「主に遣わされて生きる」         (マルコの福音書 6章6b~13節)

本日の御言葉(マルコの福音書 16章15節)
 全世界に出て行って、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。

 一国の党首が選ばれたなら、同時に支えるメンバー選びが重要なことです。公的な能力はもちろん、私生活の上でも精査され、ふさわしい方が選ばれます。
 イエスは「神の国」を告げ広める働きを進めるために補助者として12人の弟子を選ばれましたが(マルコ3章)、神の祝福を求める多くの人に応えるため、弟子たちだけでもご自分と同じ神の働きができるよう特別な神の力を与え、その心得を教えられました。

Ⅰ.イエスに遣わされる12人 

 マルコは「弟子」というよりも「12人」という数に目を留めて記しています。アブラハム、イサク、ヤコブと続く3人の信仰の父を持つイスラエルの民は、ヤコブの時代に、その子ども12人をかしらとする12部族をもって組織されました。この神の民イスラエルを意識しつつ、イエスは今ここにおいて、新しい神の国を建て上げようとされたのです。
 イエスが彼らを選んだのは、他の人々より罪が少なかったから、主イエスに対する理解が深かったから、ではなく、彼らの心に「イエスこそ神の子、救い主」と信じる気持ちがあり、「救われたい」という願いがあるのを見られたからなのです。彼らの伝道とは、不信仰な人々の中にあって、神の認識がどれほどのものか、その神を認めさせ、神の前の罪と向き合わせ、「悔い改めさせるため(12節)」でした。そのために、イエスは人々を罪のとりこにしている悪霊に対抗するための特別な力、病を癒す力を与えられたのです。

Ⅱ.任命に伴う教え

①2人ずつ…一人では足りない力を補い合い、支え合うためです。その仲間が12人、共に主の働きをすることに
 励まされ、互いに祈り合って活動するためです。
②杖1本以外何も持たずに…父なる神に寄り頼むこと、この時にはまだイエスの名によって伝道する時、迎えて
 くれる人々があり、その人たちを信頼して、生活の拠点とし、伝道に専念するようにとの教えです。後に人々の
 思いが「イエスを十字架につけよ」と変わっていく時には、弟子たちに自分の生活のために備える必要を教えます。
③受け入れない者には…後にはイエスの十字架と復活によって、罪の赦しと新しい命の宣言がなされるのですが、
 その根幹が「悔い改めること」であり、それを拒否する者には、「足のほこりを払い落して待ちを出なさい」と、
 神のことばをごまかすことなく、真理を曲げることなく、神を受け入れた者だけに与えられる祝福を語らせたのです。

Ⅲ.主に遣わされて生きる祝福

「神のご支配の中で生きる」ことは、実際には多くの人が求めているものであります。そして、それが「祝福」と呼ばれるものです。私たちの生活が自分の頑張りで豊かにもなったものか、それらが与えられたものであるか…、その豊かさが当然の報酬か祝福か…、私たちの生活のすべてが神の守りと力があってこそ生きることができると、視点を神に向けることができるなら、当たり前と思うことがどんどん祝福に変えられてくるのです。この祝福を得させるために私たちはこの社会に遣わされています。

結  論

今日は教団伝道デーとして、共に教団にある122の教会の皆さんと心を一つにして祈っています。私たち我孫子栄光教会は、12人(大人10人、子ども2人)のクリスチャンから始まりました。様々な戦いを通して主のご真実を体験し、一人ひとりが主の枝として生かされ、その実を豊かに結ぶようにと主は願っておられ、そのために祈られています。お互いが主の救いを体験し、祝福の基とされている恵みを分かち合い、信仰の確かさを後世に語り繋いでいきましょう (Ⅰコリント9章23節)。

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