2024年9月1日振起日合同礼拝メッセージ「開かれた道」 

メッセンジャー:仁科宣雄師

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「開かれた道」              (出エジプト記 14章15~31節)

本日の御言葉(出エジプト記 14章13節)
 恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。

人生の中で「危機的状態」に遭うことはどれくらいあるでしょうか?近年の異常気象においては「命を守る行動」が叫ばれ、日ごろからの備えが求められています。聖書には「永遠のいのちを守る行動」として、神のことばに耳を傾け、祈ることが記されています。

Ⅰ.臨在をもって導かれる主    (13章 17~22節)

 イスラエルの民は、ついにエジプトの国から解放され、モーセを先頭に神の約束された地カナンを目指して歩き始めました。奴隷としての生活によって鍛えられていましたが、民族としては生まれたばかりの赤子のようなイスラエルです。地図もスマホもない時代、神は臨在のしるしとして、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって民を導かれました。
 その導きは近道ではなく遠回りの道でした。近道の周りには強い人たちが住んでいるので、神は安全な道を選ばれたのです。私たちも、「どうして神はこのような道を・・・」と思われる道を行かせられますが、安全に守り導いてくださる主の臨在を信じて従いましょう。

Ⅱ.困難を前に不信仰になる民   (14章 1~14節)

 主はイスラエルの民を「引き返らせ」葦の海に導かれますが、袋小路のような所でした(3節)。
あえてその所を選び、奇跡をおこし、今度こそ王ファラオ達に、イスラエルの神が真の神であることを徹底的に知るようになると宣言されたのです(4節)。
 一方、エジプトでは、王ファラオが「便利な労働者」であるイスラエルの民を出て行かせたことを後悔し、連れ戻そうと、戦車600台の軍隊を引き連れて、イスラエルの民を追いかけます。この王の姿は私たちの姿でもあります。自分の思い、持っているものを主の前に手放しても、世の惑わしに揺れ動き、やっぱり自分の手に留めておきたいと追い求めるのです。主は、私たちの心をあえて頑なにし、自分の欲に満足させる中で、決定的に神の力を見させる機会をお与えになることがあることを、ファラオの姿から教えられます。
 迫りくるエジプト軍に気づいた民は、恐れ、本音で叫びます(13:11,12)。モーセは「恐れてはならない。主が戦われるので黙して祈っていなさい(口語訳) と命じます。

Ⅲ.道を開かれる主   (14章15~31節)

 モーセの祈りに応えて、神は「民たちを前進させよ」と力強く命じられます。そして、モーセに、「あなたの杖をもって、その手を海の上に伸ばし、海を分けなさい。」と、民たちを導く羊飼いとしてその杖を用いるようにおっしゃるのです。モーセがその通りすると、強風が吹き付け、海の水が左右に壁となり、真ん中に道ができたのです。一晩中風は吹き続け、民は渡りきりますが、何とエジプト軍も入り込んできたのです。神は戦車の車輪を外しエジプト軍を混乱させました。そして、モーセが再び海に手を伸ばすと海の水は元に戻り、エジプト軍は全て飲み込まれたのです。神のことばが成就したのです。神は神を信じる者だけに聖別された道を開いてくださいます。そしてそれは天国へと続く道なのです。
 神様の御力をその目で見たイスラエルの民は、心から神に感謝し、また、神のしもべモーセを信頼し、旅を続けました。

結  論   

 神がイスラエルの民のために開かれた道は、彼らを喜ばせるためだけではないことを覚えましょう。神の目的は、主の栄光を現すためであり、神が「主」であることを知るためでした(13章4節)。私たちは目の前にある困難、試練を通して、さらに深く「わたしの主」を知ることとなりますように、主の栄光のために新しい道を開いてくださいと神を仰ぎ見つつ祈り求めてまいりましょう。その道が天国につながっていることを信じつつ…。

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