2024年9月29日礼拝メッセージ「主の憐れみによって生きる」

メッセンジャー:仁科宣雄師

目次

「主の憐れみによって生きる」           (民数記 13章1~24節)

本日の御言葉(詩篇106篇45節)
主は彼らのためにご自分の契約を思い起こし豊かな恵みにしたがって、彼らをあわれまれた。

多数決による決定には、利点と欠点があります。少数であってもその声に真実が隠されていることが少なくはありません。この世にあって、神のことばは一笑に伏されることですが、やがての日、神の真実が明らかになり、永遠の祝福をいただける約束を信じましょう。

Ⅰ.カナンの地への偵察隊の派遣     (13章1~24節)

 神の宝の民、イスラエルの民は神の約束の地、カナンを目指して進みます。目の前のことに一喜一憂し何度も「エジプトの方がましだった」と言わせるほど困難な旅でした。
 モーセは神の命令を受け、12部族のそれぞれのリーダーを偵察隊としてカナンへ派遣しました。その地の住民、土地の状態、町々の様子、農作物について調べてくるように命じました。この偵察は、カナンの地を勝ち取れるかどうかを判断するための偵察ではなく、この地が主が約束された通りの土地であるかどうかを確かめるための偵察でした。

Ⅱ.偵察隊の報告      (13章25節~14章10節)

 40日間の偵察から帰ってきた12人から、果物が豊かに実る非常に良い土地であるが、カナンの住民が背が高く強そうなこと、町々は城壁で囲まれ、容易に攻めきれないことが報告されました。そして、偵察隊の一人カレブはヨシュアと共に確信に満ちて「私たちは必ず打ち勝つことができます。」と励ましました。しかし他の10人は、アマレク人たちを恐れ、攻め上ることなど不可能だと弱音を吐き、カナンの地を悪く言いふらします。それを聞いて民たちは、夜通し泣き明かし、また「エジプトで死んだほうがましだった」「この荒野で死んだほうがいい」とモーセにくってかかり、そればかりか主をも非難し、モーセとは別のリーダーを立てて、「エジプトに帰ろう」と言い出すのでした。
 モーセはひれ伏して主にとりなします。カレブとヨシュアは、衣を引き裂いて嘆き、共におられる主に信頼して恐れることなく前進しようと民を激励します(ローマ8章31節)。民たちは「恐れ」に支配され、共におられる主の力とこれまでの主の奇跡や約束のことばを見失い、カレブとヨシュアを殺そうとまで言い始めます。

Ⅲ.神の裁きとモーセのとりなし      (14章11~38節、詩篇106篇)

 神は、激しく憤り「不信仰の民を疫病で打ち滅ぼす」と言われます。モーセは「怒るのに遅く、恵み豊かで、咎と背きを赦すお方」、「罰すべきものを必ず罰するお方」である主に、「民の咎を大きな恵みによって赦してくださるように」と必死にとりなしました。
 主はモーセの祈りに応えて、疫病で即座に絶滅することを止めますが、主の声に聞き従わなかった者たちは、今後40年荒野で放浪する間に死に絶えること、また、彼らの子どもたちは生かしつつも、親たちの背信の責めを負いながらカナンの地に入ることになると…しかし「主の約束を信じたヨシュアとカレブだけは約束の地に入れる」と告げられました。主は確かに厳しく処罰されましたが、その後も民にマナを与えて養い続けられました。
 ジョンニュートンは奴隷を売買する船長でしたが、暴風雨に遭い命の危険を覚えた時、神の憐れみを体験し、讃美歌「アメイジンググレイス(驚くばかりの恵み)」が生まれました。

結  論

カレブとヨシュアの信仰に倣いたいと願うのはもちろんですが、恐れに囲まれて主の約束が見えなくなる私たちではないでしょうか?私たちを宝の民とし、最後まで愛したいと願われている主のみこころを知りながらも、神と世のもとを行き帰する私たちが、永遠に滅びることのないように今もとりなしていくださる主イエスと神の憐れみを信じ続けましょう。また、時に迷い悩むお互いです。信仰の友同士が支え合いながら、神が約束しておられるゴールを目指して進む「群れ」とさせていただきましょう。

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