2024年10月13日主日礼拝メッセージ「信じて歩む7日間」

メッセンジャー:仁科宣雄師

目次

「信じて歩む7日間」              (ヨシュア記 6章1~21節)

本日の御言葉(へブル人への手紙11章30節)
信仰によって、人々が七日間エリコの周囲を回ると、 その城壁は崩れ落ちました。

 旧約聖書の歴史を読みながら誰もが疑問として覚えるのが、「カナンの地征服は、パレスチナの侵略記録とも言えるのではないか?」ということです。平和の神と言われる神が命じ、元から居る住民を追い出し滅ぼ、滅ぼすと言われるのです。この疑問について、第1に、時代背景の違いを認識することが必要です。この時代には国際法も大使も国連もありませんでした。弱肉強食の世界で、民族間の武力衝突が繰り返されていました。奴隷状態から脱出したイスラエル民族は弱い立場にあり、先住民族から抹殺される危険性もありました。平和共存ができる条件は、現代のようには、まだ整っていませんでした。
 第2に、これは不道徳な生き方を教える偶像の神との戦いでした。先住民の悪のゆえに神が彼らを「聖絶」されるのです。そこでもし人が悪い欲にしたがって行動するなら、たといそれがイスラエルの民であっても(7章のアカンの罪)、聖絶されるのです。
 第3に、本当の平和の条件は新約聖書の中の「主イエスの自己犠牲の生き方」で初めて示されることとなります。「剣をとる者はみな、剣で滅びる」ゆえに、「愛をもって互いに仕えなさい」と命じる高い倫理基準は、当時の歴史的状況の中ではまだ実現不可能でした。
 これらのことを理解した上で、カナンの地征服を私たちに約束された「天の御国」の獲得と重ねつつ、この世における戦いを通して、主の恵みを勝ち得てまいりましょう。

Ⅰ.神の戦術       (6章1~7節)

まず征服すべきはエリコでした。堅固な城壁に入り込む隙はないようですが、反対に住民たちはイスラエルの民を恐れていたのです(5章1節)。ただヨシュアは一人、戦いと向き合い苦悩していました。そこに「主の軍の将」である主ご自身が現れてくださり、主の戦いを確信させたのです(5章13∼15節)。神の戦術は、城壁の周りを無言で歩くというものです。6日間、城壁の周りを一日一周し、祭司たちが角笛を吹き鳴らす。7日目だけ7周し、祭司たちが最後に角笛を長く吹き鳴らし、合図に合わせて民がときの声をあげると城壁が崩れるという、宗教的行事の行列でした。沈黙とは「静まって神であることを知る」時でした。

Ⅱ.信仰による勝利       (6章15~21節)

総勢4万人を超える大集団の沈黙の行進が毎日続くのを見て、エリコの人たちは神と民をバカにさえするようになりました。神の方法は、「罵られ、嘲られる」ものです。イエスの十字架はまさしく、人の域を超えた、驚くべき神の救いの方法でした。
 民はこの不思議な命令に、誰一人不平を言うことなく、そして住民たちの罵声にも耐えて、従いました。ヨシュアはときの声をあげる直前、「主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ」と宣言しています。勝利を信じて感謝をし、主をたたえたのです。

Ⅲ.主を恐れたラハブの信仰       (6章22~25節)

主は、エリコの町とその中にある全てのものを聖絶するように命じられました。ただ、先にヨシュアがスパイを送り込んだ時に、かくまって助けてくれた「ラハブとその家族」は生かされました(ヨシュア記2章)。神に捧げられたものは必ず用いられます。異邦人で遊女だったラハブは、信仰によって勝利した神の民との出会いを通して大きく変えられ、ルツの夫、ボアズの母として、イエスの系図に名を連ねることとなったのです(マタイ1章5節)。

結  論

エリコのような堅固な城壁…大きな試練、苦難はもちろんですが、一番堅固なのは自分の頑なな心であることを覚えましょう。神様の方法によって崩され、同時に、神の御手に握られた捧げものは神のみわざのために用いられます。どんな時にも共に働いて、祝福に変えてくださる「生ける神」を信頼し、従ってまいりましょう。

アーカイブ

目次