2024年11月10日 幼児祝福合同礼拝メッセージ『 神が望んでおられる事 』

メッセンジャー:船田肖二師(日本イエスキリスト教団 白河栄光教会牧師)

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『 神が望んでおられる事 』  テサロニケ人への手紙 第一 5章16∼18節

本日の御言葉 (テサロニケ人への手紙 第一5章16∼18節)
 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。
 これが、キリスト・イエスにあって 神があなたがたに望んでおられることです。

 今年も気がつけば11月、とても寒さが厳しくなってきました。皆さんはいかがお過ごしでしょう。今日は委員問案で礼拝を共にさせていただきます。振り返れば学生の時、2か月家の教会に出席させていただき、関東教区に12年いた時には、いろいろな機会に現会堂にお邪魔していました。

 わたしたちはそれぞれの地域に会堂を持ち、神を礼拝していますが、それぞれが異なった組織ではなく、キリストにあって一つであり同じ教会です。もちろんそれぞれの教会に与えられている使命と働きは異なっているでしょうが、主はわたしたちを愛し、必要に応じてつなぎ、いろいろな形で力や知恵を与えて用いてくださるのです。

 神が私たちに望んでおられるのは、どんなことなのでしょう。わたしたちが聖書を通して神を知り、神の深い愛と豊かな導きを体験していくと、神が私たちに求めておられるのは、わたしたちの良い行いや熱心な奉仕ではなく、神を信頼する心であることを教えられます。神を信頼しているからこそ、どんな時にも祈りに導かれ、どんな状況に直面しても、それを恵みに変えてくださることのできる神によって喜ぶことが出来るのです。もちろん弱い私たちは目の前の現実に流されてしまいますし、心が折れてしまうこともあるでしょう。けれども、神を見上げることが出来るなら、何度でも主によって立ち上がることが出来るのです。

 みなさんにとって信仰とはどのようなものでしょう。自分の内に何か良いものを求めるのではなく、そのままのわたしたちを喜んで受け入れ、用いてくださる主を信じ、神が用いてくださることを期待し喜ぶ生き方を、楽しもうではありませんか。主はすべてを知ったうえで、イエス・キリストの十字架によってわたしたちを神のものとし、いつも寄り添ってくださっているのですから。

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