2024年11月24日主日礼拝メッセージ 「選び取るべきものは一つ」

メッセンジャー:仁科宣雄師

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「選び取るべきものは一つ」     (ルカの福音書 10章38~42節)

本日の御言葉 ルカの福音書 10章42節
 必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。

近年の自然災害に限らず、緊急避難しなければならなくなった時、あれもこれも持っていきたいと考えてしまいますが、その場になると命を守るためには、何もいらないと素直に従えるでしょう。みことばはどんな場合においても「永遠の命」を与える力です。

Ⅰ.エルサレムに向かわれるイエス    

ルカ9章51節「さて、イエスが天に上げられる日が近づいたので…」とイエスは、特別な決意をもってエルサレムに向かわれます。今日の箇所の前には「良きサマリア人」と言われるたとえを語られています。永遠のいのちを得るための条件である「神と隣人を愛しなさい」という律法を、暗に守り得ていると自負する律法学者たちに対して、イエスはたとえを用いて、彼らが嫌うサマリア人こそ見倣うべき「愛の行い」が実行されていること、「愛することができない人こそ愛さなければならない」と教え、「あなたも行って同じようにしなさい」と命じられました。さらに、もう一つ大切なことがあると言われるのです。

Ⅱ.マルタとマリアのもてなし     (38~40節) 

イエスがエルサレムに行く時には、弟子たちと共によくべタニア村のマルタとマリア、ラザロが住む家を訪れていました。イエスが彼らの家に入られると、マリアは主の足もとに座って主のことばに聞き入りました。一方、マルタは大勢の人をもてなすのに頭も体もフル回転させていました。みんな愛する人たちですから、喜んでもてなしていたでしょう。が、ふと「なぜ私だけが?」と思い、マリアを見るとイエスの足元でずっと話を聞いているのです。マルタは不満で今にも爆発しそうな思いでイエスに向かって、マリアを責めるだけでなく。主イエスをも責めるように言ったのです。それにイエスは答えます。

Ⅲ.必要なことは一つだけ   (41~42節) 

①何にとらわれていますか?…「自分だけが苦労している」という被害妄想にとらわれているマルタに「あなたがとらわれるべきは神の愛だ、さあ、私のもとに来なさい」と名前を呼ばれたのです。

②必要なことは一つ…いくら愛したいと思っても、愛することにおいて完全でない私達は、一人で堂々巡りして疲れ、思わぬ感情が出てしまいます。そこに神がいてくださるなら、私達の気持ちを受け止め、神の目線で見える景色を見せてくださいます。「愛することができない人こそ愛さなければならない」と教えられた主は、「神のことばを選び取れない時こそ、選び取りなさい」、そのために「私のもとに来て、わたしの言葉に耳を傾けなさい」とおっしゃっているのです。

イエスはマルタのもてなしを否定しているのではありません。しかし同時に、主は確かに「ただ一つ必要なことは、マリアのようにみことばを聞くことだ」と言いたかったのです。マリアは、いつも神の子として父なる神のみこころを行うイエスの働きの大変さを心から理解していたのです。自分が愛する人にその愛を伝えるために一番大切なことは、相手が望んでいることを知ることからです。「選び取る」と言うことは選んで取る=自分のものとすると言うことです。選び取ったものが「恵みとして自分のものになる」ことを体験していきましょう。

結 論         

アドベントを迎えますこの時、私のために十字架を選び取ってくださり、「あなたはわたしのものだ」と言ってくださる救い主の誕生を、何にも勝るプレゼントとして待ち望みましょう。

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