メッセンジャー:仁科宣雄師
「神のことばを聞くしもべ」 (サムエル記第一 3章1~14節)
本日の御言葉
主よ、お話しください。しもべは聞いております。
サムエル記第一 3章9節
「祈り」とは、多くの人にとっては自分の願いを神に聞いていただくことで、聞いてもらえると信じて、祈ることは大切でしょう。が、もう一つ、「神が思われていることを聞かせてください」という大切な祈りがあります。母ハンナは、祈りが聞かれ、与えられたサムエルを祈りの中で約束した通り、主にささげ、彼は祭司エリのもとで主に仕えるのでした。
Ⅰ.サムエルを呼ばれる主なる神 (1~9節)
(1節)雑用と言われるような仕事も神殿においては、「主に仕える」大切な仕事です。ただ、主の生きたことばがないところでは、主に仕えること自体が成り立つとは言えません。神殿における形式だけの礼拝=イスラエルは最も貴重なものが失われていたのです。その失われたものを回復するために、主はサムエルを預言者として立てたのです。
ある日の明け方、サムエルは名前を呼ばれ、目を覚まします。てっきりエリの声だと思い、エリのもとに行くと、「呼んでいない。戻って寝なさい」と・・・。ところがまた名前が呼ばれます。それが3度続き、エリは神が呼んでおられることに気づきます。エリは、「今度名前を呼ばれたら、『主よ、お話ください。しもべは聞いております』と言いなさい。」と、この時初めて、彼に神のことばを聞く心の備えを教えたのです。
主の宮で仕えてはいても、個人的に神と出会い、交わりをもったことがなかったサムエルは、この時初めて個人的に語りかけてくださる神の声を聞いたのでした。母ハンナの生きた信仰は、サムエルが生きた主との交わりを持つことによって完成したのです。
私たちはどこまで、神のことばを聞きたいと求めているでしょうか?生きておられる神は、私たち一人一人を信頼して、今日も思いのすべてを語りかけたいと願っておられるのです。その今日の一言を祈り求めましょう。
Ⅱ.神のことばを聞いて語る預言者サムエル (10~21節)
神がサムエルに語られたことばは、聞く者が怖れと驚きで耳鳴りをおこすほどに厳しい宣告でした。エリとその家族の罪に対して(2章12-17、22-36節)、どのような犠牲を払っても永久に贖われないとの厳しさです。サムエルは夜が明けるまでの時間、何を思って過ごしたでしょう。一方エリもこの時間、神が自分ではなく、サムエルに御声を聞かせることについて考えていました。そして、次の日の朝、恐れをもってエリに向き合うサムエルに、エリの方から神が語られたことを包み隠さず話しなさい」と、命じるのでした。
こうしてサムエルは預言者として神のことばに仕える者となりますが、主が彼と共におられることは誰の目にも明らかでした。神は彼に預けたことばをもって、ご自身を現し、そのお考え、ご計画をお語りになりました。サムエルが語る言葉は、神を探し求める人々にとって不可欠であり、神のことばに聞き従うところに命と祝福があるのです。サムエルは人を恐れず、神のことばをまっすぐ語る預言者として、神と人に仕えつつ、イスラエルを導いていくのでした。
Ⅲ.祭司とされた新約の民として (Ⅰペテロ2章9節)
神の憐れみによって、救われた私たちは「祭司」とされています。神と人を取り次ぐ働きです。神のことばをあいまいに解釈し、都合よく薄めて語ってはいけないのです。
結 論
私たちは「自分が神様を選んだのではなく、神が私を選ばれた」という信仰の中に入れられています。神の国の祝福を一人でも多くの人にと願われている神は私たちを用いようと御声をかけておられます。主の御前に静まって、わたしたちの語るべきこと、なすべきことを聞かせていただきましょう。