2025年6月1日 主日礼拝メッセージ 「新しい天と地」 

メッセンジャー:仁科宣雄師

目次

「新しい天と地」             (ヨハネの黙示録  21章1~8節)

本日の御言葉
  神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
                              ヨハネの黙示録 21章3節     

春から初夏…こうした心地良い日がもっと続けばよいのに…と願うことです。誰もが、良いことはこのままずっと続いてほしい、嫌なことは早く過ぎ去ってほしいと願います。神様にとって、ご自身の手で創造し、始められたこの世界はどちらだったでしょう。

Ⅰ・新しく創造される天と地    (21章1~8節)

神は、主イエスが再び来られ、歴史を完成させてくださる時の新しい天と地である「神の国」の幻=黙示を使徒ヨハネに見せられました。神によって「栄化」された自然界と、「具体化」された霊の世界が融合調和された全く新しい世界です。それは、イエスの復活後のお身体のように、実存しつつも、時間と空間を超えた栄光のお身体に表されています。その主にあって私たちも主の栄光に満ちた世界へと入れられるのです。

①恐れや不安が無い世界…当時の人々にとって海は恐ろしい魔物のような生き物が住む恐怖に満ちた世界という印象をもっており、物理的に海が無いと同時に、そこに住む私たちが恐怖や不安から解放されているということを意味しています。

②涙がぬぐわれる世界…新天新地において、主イエスを信じる者=教会は、花婿なる主イエスの花嫁として描かれています。この地上では、多くの悲しみや苦しみを経験する教会でありますが、その涙は完全に拭われ、死も悲しみも叫びも苦しみもない世界です。「いのちの川」から流れる水を与え、永遠に生きる「祝福に満ちた地」であると…幻を見せ、迫害の中にある主イエスを信じる者を励まし、希望を与えるでした。

Ⅱ.神が光である世界     (21章9節~27節)

 新天新地における聖なる都エルサレムとは栄光の教会の姿です。この新しい都には神の栄光が満ちあふれています。真の光である主イエスご自身がいらっしゃるので、神を間接的に礼拝する場であった神殿は必要ありません。太陽と月も存在する必要が無いのです。そして、数々の宝石で造られていますが、真の光に照らされる宝石の輝きは、私たちの想像を絶するものでしょう。そして、聖書の福音は全人類が招かれている救いのメッセージですが、信じなくても救われるということではないと、聞き逃してはならない神の厳粛な言葉です(21章8、27節)。

Ⅲ.主の栄光の中で永遠に生きる    (22章 1~7節)

完成された神の国で、私たちは「いのちの水の川」に潤され、「いのちの木(の実)」を食べて満ち足りるのです。人が罪を犯したために閉ざされたエデンの園が、キリストにあって回復するという至高の幸いが約束され、また、父なる神と神の子羊(キリスト)をこの目で礼拝する祝福、主の栄光と愛の交わりの中に永遠に生かされる祝福にあずかることが約束されています。神のしもべたちの額には神の御名が記されます。神が一人一人を愛し、「あなたはわたしのものだ」とご自分の名を記してくださるのです。なんの恐れも心配も痛みも苦しみのない中で、主が、一人一人に与えてくださった個性と賜物が生かされる喜びを味わい知る時間が始まるのです。

結 論

神に呼び出された私たち=主の教会は、神のいのちの水によって生かされ、養われ、慰められ、力づけられてきましたが、その戦いはなお激しく、労苦は続きます。しかし、神の国においては、いのちの川の本流によって、永遠のいのちの力に満ち溢れて、神を礼拝し、主に仕える喜びに満たされるのです。神とともに「この世界を治めよ」という神の使命を果たす恵みにあずかることができるのです。その約束の日を目指して与えられた信仰を育ててまいりましょう。

アーカイブ

目次