メッセンジャー:仁科栄子師
「新しい喜び」 (ルカの福音書 5章 33~39節 )
日本文化を体験することを目的にして旅行客が増えているそうです。全く古いままではなく、古さを生かして懐かしさの中に新しい風を取り入れる、ジャパニーズモダンが作り出されています。古きと新しきのいいとこどりは贅沢な話でしょう。 今日の箇所は、新しいものと古いものが融合しえないものであることを教えています。
Ⅰ.断食についての問答 (5章33∼35節)
パリサイ人やバプテスマの)ヨハネの弟子たちは、自分たちは断食するのに、イエスの弟子たちは断食をしないで飲み食いをしているとイエスを問い詰めます。罪を悔いたからと愉快に飲み食いしているあなたたちの常識はおかしい」と、弟子たちに教えるべきではないかとイエスに対して迫っているのです。 ユダヤの律法では婚礼の時だけは律法の束縛から解放されてよいとなっていました。それ故にイエスは、弟子たちを婚礼の客に、自分を花婿にたとえて、婚礼の席で、客たちが花婿をむかえて喜んでいるのだから、花婿自身も喜ぶのが当然であり、花婿を前にして悲しみの儀礼の断食をすることがあるだろうかと投げかけたのです。罪を悔い改めた時は婚宴に匹敵する、神の国がいよいよ間近に迫った今は、喜びの時、救いの時であると言われるのです。 イエスは断食を軽んじてはいません(マタイ6:16∼18)。のちの教会も,また断食を重んじることを知っています。35節で本当に皆が断食すべき時が来る、と、自らの「死」を預言しているのです。
Ⅱ.新しい教え(イエスによる福音)と古い教え(ユダヤ教による律法) (36∼39節)
①古い衣と新しい衣…新しい衣を裂いて古い着物に接ぎ当てることは、合わない。新しい衣を裂くこと=イエスの教えを一部分だけ取って古い自分の信仰に継ぎ足すことは間違い。イエスの不思議な力、奇跡の一つを取ってそこだけを古い自分の考えに継ぎ当てても完全ではありません.罪の問題を抜きにしては完全な「新しい教え」ではないのです. ②新しい酒は新しい皮袋に…古い皮袋に入れたなら、新しい酒にある発酵する力、いのちの力は、古い皮袋を突き破り、どちらもが無駄になります.新しい皮袋に入れられた酒はさらに熟成するのです。(39節)古いものになれている人は、なかなか新しいものを受け入れることができない…それは、世の中の保守的な頑迷な人々はイエスの教えの真理を理解しようとしないで、真の救いが新生にあることを悟ろうとしないのです。律法を成就するために来られたイエスは、古いものとは断絶した新しさを持つのです。
Ⅲ.すべての民に及ぶ「新しい」喜び エレミヤ31章10∼14節
神に逆らい、神の裁きを受けるべき私たちははイエスの死の代価によって赦しと希望が与えられました。悲しみや嘆きを喜びに変える唯一の方法です。それを体験した私たちは世界の諸国民に伝える責任があります。裁き合い、争い合う人々がイエスの十字架の死によって、罪赦され、共に喜び、天の御国を目指して進む唯一の道を選び取れるように、その道を、まず自分の身近な所で見出せるように祈り求めましょう。
結 論
イエスは、律法の完成者として、古い契約を成就し、新しい契約の恵みをもたらせました。悔い改める者を赦し、用いてくださる主にある生き方、神のみこころに生きることは真の喜びです。この世にあわせて、切ったり貼ったりすることなく、全ての人に約束されている完全な救いの喜びを分かち合うために、祈り、行動させていただきましょう。 |