メッセンジャー:仁科宣雄師
「神の約束を信じ続けて」 (創世期 17章 1~6節 )
今の社会、効率や成果、スピードを重視するのではなく、ゆっくりと時間を気にせず、自分のペースで生きようとする「スローライフ」を楽しむ人が増えています。しかし、それと「忍耐」とは違うようです。主からの約束を受け取り、「告げられたとおりに」(12章4節)旅立ったアブラムは主からの約束を信じつつも、得るまでには長い時を過ごすこととなります。
Ⅰ.盾であり、大いなる報いを与える神 として (15章 1~6節)
アブラムは、おいのロトが住んでいたソドムにおいて王たちの戦いに巻き込まれ捕われたロトを救い出します。しかしそのように勝利した中で、彼の内に様々な恐れが起っていたのです。しもべや財産が増えるほどそれを受け継ぐべき自分の子が生まれる可能性も気配もない…。主はそのような恐れや不安を覚えるアブラムに「恐れるな」と声をかけ、祝福を約束されます。アブラムは「それでも…」と自分の思いを主に訴えます。主は満天の星を見せて、創造主なる神の力を確信させるのでした。アブラムは「主」は信じるに十分なお方、契約をその通りに成就なさるお方、と信じ、主はそれを「義」とされました。アブラムを通して契約を果たし、神の国を回復するご計画を進めるということです。 それでも現実を前に二人の心は揺れ動き、サライからの提案を受け入れ、アブラムは女奴隷ハガルとの間に男の子(イシュマエル)を得たのでした。
Ⅱ.全能の神 (17章)
イシュマエルが神の約束の子ではないだろうかと思い煩いつつ13年…99歳になったアブラムに主が現れて、「わたしは全能の神である」、すべてに勝る力を持つ神であると宣言し、これまでの約束を更新し、壮大な内容を明かされました。アブラムが子孫を富増し、幾つもの民族を起こし、それらから王たちが出るというご計画。そしてそれは、あなたの後の子孫との間に、永遠の契約であるとおっしゃられました。そのしるしとして ①名前を変えた…アブラム→「アブラハム=国民の父」、後にサライ→「サラ=王女」に、 主ご自身が二人に約束のしるしとしての名を与えたのです。私たちも主に救われ、主のみこころに生きる者と変えられたのです。自分の個性とも言える性格を主の前にありのままを出し、それを神の聖さ、正しさ、愛によって育てられていく歩みです。 ②男子に「割礼」を命じ、見るたびに神との契約を覚えるしるしとされました。主が求めた のは「心の割礼」でした。心が砕かれて、心から主に信頼するようになることでした。 「すべての責任はわたしにあるのだから、委ねなさい。ただ、私の前に誠実に、私の言葉を信じて従い歩みなさい。」と言われたのです。
Ⅲ、不可能のない神 (18章 1~15節)
アブラハムたちのもとに3人の旅人が現れ、彼は心を尽くしてもてなします。実は主と二人の御使いでした。主はサラにも直接個人的にかかわる必要があったのです。旅人の一人から1年後に起こることを聞いたサラは、心の中で「あり得ない」と笑います。そんなサラを見逃さず、「主に不可能なことはない」とご自身を現わされ、語られたのです。 アブラハムにとって主の約束は、長い時間を過ぎる中で「懐疑」なものから「不可能」に変わるほどのものでありました。しかし、約束とおり、サラは男の子を生んだのでした。
結 論
アブラハム、サラに与えられた祝福の約束は、私たち一人ひとりにも展開が違いますが与えられています。到底不可能に見える神の約束を、自分の考えや常識で判断せずに、全知全能の神にできないことはないという信仰に立って、従いつつ、忍耐をもって約束の実現を待ち望みましょう。 |