2023年8月27日 主日礼拝メッセージ 「永遠のいのちへ至る水」

メッセンジャー:仁科宣雄師

目次

「永遠のいのちへ至る水」       (ヨハネの福音書 4章 7~15節 )

「何が欲しい?」と聞かれて、次々と出てくるのは、前に向かって進んでいる時かもしれません。立ち止まっている時、もうこれでいいかなと思う時には、量より質にこだわるようになるのではないでしょうか?今日も多くの人が欲する「永遠のいのち」に関わる出来事ですが、一人の女性にとって「救い主」となられたイエスの関わり方を見ていきましょう.

Ⅰ.サマリアを通られたイエス

イエスは、その働きをユダヤからガリラヤに移す時、その道中にあるサマリアは、ユダヤ人が嫌って避けて通る地域でユダヤ人ならだれも通らない町でした。北イスラエルの首都、サマリアがアッシリアの攻撃を受け滅ぼされた後、外国人が移住し、偶像礼拝が強いられ、残されたユダヤ人と外国人との雑婚がおこりました。そんなサマリヤ人を、ユダ人たちは汚れた混血人種、民族と国家を裏切った者、神の契約から外れた者だと、軽蔑と偏見の目で見るようになったのです。彼らはゲリジム山に神殿を置き、偶像礼拝を捧げていました。そのような地に主イエスはあえて進まれ、一人の女性に出会うのでした。

Ⅱ.サマリア人女性に関わられたイエス

人目を避けて暑い昼間に水を汲みに来たその女性にイエスは声をかけられます。
①「水を飲ませてください(4:7∼15)」…当時男性が、しかも教師が、何よりユダヤ人が、サマリアの女性に頼みごとをするなど、常識的に考えられないことでした。しかし主イエスは、彼女の心の内をご存じで、イエスの方から関りを持ちたいと願い出たのです。 主は、私たちが孤独な時、悩むとき、苦しむ時に、私たちと個人的に出会うことを求めて、語りかけてくださるお方です。主の声に耳を傾けましょう。
②「あなたの夫をここに呼んできなさい(4:16∼⒛)」…この意表を突くことばは、彼女が抱える問題の核心だったのです。彼女を孤独と悩みのただ中に閉じ込めていた問題の核心は、まさにここにあったのです。イエスにこれまでのことを言い当てられた女性は、そのことばが神の声のように聞こえ、自分の心を満たすために犯してきた「罪の解決」を求めたのです。そして、「主よ」と、イエスを信頼しつつ、長年の疑問であった自分がささげている礼拝で、この罪が赦されるのかどうかの答えを求めるのでした。
③「私を信じなさい」(4:21∼26)…誰と、どの場所で、どのような儀式で礼拝するかが議論されることが的はずれとなる時が 来る。「御霊と真理によって」父なる神を礼拝する、ただ、その一点において誠実であるようにと、招かれたのです。霊である神の前に供え物となり得るのは、愛、忠誠、服従、 献身であることを教えられたのです。 、私たちの礼拝が悔い改めと神への感謝と賛美、神のことばを求める心が伴っていないならば、空しい時間となってしまいます。習慣や義務の礼拝は神を悲しませていることになり、何よりも私たちが神の大きな恵み、祝福を逃していることになります。

Ⅲ.サマリア人たちの救い

イエスに「生ける水」をいただいた女性は、あふれる希望を人々に告げたのです。それによって、多くの人が主を信じました。そして、一人ひとりが直接イエスに出会い、救いを自分のものとしたのです(4:42)

結  論

神の恵みは自分を潤すだけでなく、周りの人を潤します。人と人が心から理解し、お互いに自分より優れていると思える人間関係は本当に楽しいものです。このような人生を送ることのできるための泉である主イエスを心に迎え、「永遠のいのちに至る水」を引き出してまいりましょう。

アーカイブ

目次