2023年 8月 20日 主日礼拝メッセージ 「新しく生まれる」

メッセンジャー:仁科宣雄師

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「新しく生まれる」          (ヨハネの福音書 3章 1~15節 )

私たちは悩み、迷いの多いこの世に生きていますが、自分が本当に知りたいと思っていることに気づいている人、そしてその答えがどこにあるかを知っている人は、そう多くはないように思います。今日は、自分の根底にある願いと問いにイエスなら応えてくれるだろうと尋ねて来たニコデモから、学びましょう。

Ⅰ.夜の訪問者・ニコデモ      ( 3章1~2節 )

ギリシア名で「民の征服者」を意味するニコデモは、ユダヤ人の議会の議員でした。パリサイ派に属する、学識豊かで経験豊富な指導者でもありました。その彼が夜、イエスのもとを訪れました。ラビたちは律法の勉強は夜がふさわしいと言い、また、人目をはばかってともとれますが、じっくりイエスと話したいという気持ちがあったようです。学識も地位も名誉も手にする人格者でしたが、高齢となり、死を身近に覚えるようになった彼が求めていたのは、「永遠のいのち」における確信でした。彼は、年若いイエスが霊的に優れていることを認める中で(:2)、イエスの教えを求めてきたのでした。

Ⅱ.「神の国」=永遠のいのちの存在         ( 3章3~15節 )

ニコデモの求めを知るイエスは、いきなり「神の国」についての真理を提示します。「神の国」とは神の支配を意味し、神の支配のもとにへりくだるところに存在します。ヨハネは「神の国に入る」=「永遠のいのちを持つ」と言い換えています(:15)。人間が心底求めている「永遠のいのち」は、私たちの肉体の延長線上に存在するものではありません。この世で栄華を極めた権力者たちは不老不死を求めますが、得ることはできません。ニコデモは律法を守り、自分の努力でそれを手に入れようとしてきましたが、得ていると確信を持つことができなかったように、決して自分の努力で得られるものでもありません。イエスは「新しく生まれる」ことこそ、それを得る方法であると言われるのです。

Ⅲ.「新しく生まれる」とは?

ニコデモは肉体的な誕生以外考えられなかったのですが、イエスは、肉体の再誕生ではなくて、「水と霊によって」生まれる天的、霊的な誕生のことを言われており、悔い改めて罪の赦しを受け、聖霊によって新しくされることでした。ちょうど赤ちゃんが暗い母の胎から光がある世に移されたように、イエスを信じることで罪の闇から神の愛の光の中へ移されることを意味しています。そしてこの新生は「天から下って来た」、すなわち神のもとから来た「神の御子キリスト」を信じることによって受けることができるのです。それはちょうど、「青銅の蛇」を仰ぐことによって、反逆のイスラエルの人々が救われたのと同じです(民数記21:4~9)。「なぜ仰ぐだけで救われるのか」と神への不信を募らせるのではなく、十字架による救いの方法を提示してくださっている神を信頼し、命じられたとおりに従う時、「信じる者がみな…永遠のいのちを持つ(:15)」のです。

結    論

私たちは、人の評価と栄誉で終わるこの世だけでなく、同時に神の評価と神の祝福で終わる世界で生かされています。神の国とその義とを求める者と変えられた時、すべてのものが与えられるという主の祝福は、今、現実のものとなるのです。神は、私たちが神の愛に生き続けることを願って、独り子イエスをこの世に差し出してくださいました(3:16,17)。神の国の支配者である神=愛のご支配の中で、永遠に生き続けることができるのです。永遠のいのちとは、この世にあってイエスと交わりながら生きる毎日のことなのです。こうして与えられてる毎日を主の愛を覚えつつ、この愛を伝え、行う者とさせていただきましょう。

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