2023年 7月30日 主日礼拝メッセージ 「弟子たちを招くイエス」

メッセンジャー:仁科宣雄師

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「弟子たちを招くイエス」       (ヨハネの福音書 1章35~42節 )

同じことに興味を持ち、志が合うということで一つのグループができますが、時間と共にお互いの長所、短所がわかってくるとメンバーも変わってきます。イエスは神の働きを始めるに当たり、長所、短所をご存知の上で「弟子」を選ばれました。

Ⅰ.イエスに「従わせる」バプテスマのヨハネ     (1章35~40節)

バプテスマのヨハネは、イエスにバプテスマを授けた時、天から聖霊がくだり、イエスの上にとどまり、神の御声を聞いて「イエスこそ神の子羊(救い主)」であると信じました その翌日、ヨハネが二人の弟子と一緒にいる時、イエスが歩いて行かれるのを「見て」、自分の弟子たちをイエスのほうに押しやるようにして「よく見なさい、この方こそ神の子羊」と紹介したのです。弟子たちはイエスが歩いていく姿を見て、「ヨハネの弟子をきっぱり止め」、イエスについて行きます。ヨハネは本当に従うべきお方は、救い主であられるイエスであり、自分はイエスの道備えをする立場であると自覚していたのです。

Ⅱ.イエスに「出会った」アンデレ     (1章38~40節)

二人がついて来るのを見たイエスは、「あなたがたは何を求めているのですか?」と問いかけ、二人はかみ合っていないような返事をします。イエスは、共に過ごしたいと望む二人の心を知っておられたのでしょう。「来て見なさい。」と招かれたのです。彼らは、イエスが寝泊まりする所を見ると同時に、イエスが神のもとにとどまっておられる「神の子」であることを見たと理解できます。イエスの「何を求めているのか?」との問いかけは、「わたしはあなたが求めるものに応えられるよ」と、ご自分のもとにすべての答えがあるとアンデレを招かれたのです。 そして、アンデレは、このあと兄弟シモンを見つけて「私たちはメシア(キリスト)に会った」と告げます。この「会った」とは、探し求めていたものを「発見した!」「見出した!」という驚きと喜びのことばです。私たちにとって「イエスに出会った」時、どれほどの喜びと驚きだったでしょうか?こんな私が救われた!こんな私に新しい一日が与えられた!という驚きと喜びを生涯持ち続けていたいのです。 次にアンデレは、シモンをイエスのもとに連れて行きます。アンデレは、①常に他の人をイエスに紹介する②進んで控え(2番手)となれる性格であり、主の栄光を分かち合うことを唯一の願いとする人として主はアンデレを用いられたのです。

Ⅲ、イエスに「見つめられる」シモン(ペテロ)     (1章42節)

イエスはシモンをじっと見つめて「あなたはシモン。これからあなたをペテロと呼ぶ」と言われたのです。シモンと神との新しい生活が始まったということです。シモンがイエスに会うのは初めてでしたが、イエスはシモンをご存じであり、存在の意味、使命、希望を与えました。彼がやがて岩のように固く強い信仰をもつ人になることを見抜かれていたのです。ペテロ=岩と言う意味があり、この岩の上に教会を建てるために、主イエスがペテロをお選びになったのです。実際、シモンは弱さや欠点をもち、弟子として多くの失敗をし、最後には弟子であることを否定してイエスを裏切ってしまうのです。しかし、シモンはその名のとおり、やがて弟子たちの中心となり、イエスの昇天後にはキリスト教会の指導者となっていきまず。

結   論       

イエスに出会った2人の兄弟は、その心に思うことを主がご存じであり、その答えを「見出させて」くださり弟子となりました。一人ひとりを見つめていてくださる主のまなざしを覚えながら、与えられている主からの使命に従ってまいりましょう。

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