2023年7月9日 主日礼拝メッセージ 「イエスのバプテスマ」 

メッセンジャー:仁科宣雄師

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「イエスのバプテスマ」         ( ルカの福音書 3章13~17節 )

勉強が進むほど「予習」が必要であり、その効果が表れるのではないでしょうか? 今日のヨハネは、イエスが生まれる半年前に、神の特別な使命を受けて誕生しました。成人となり、荒野で一人、質素な生活をしていました。当時、ローマの属国で、理不尽な現実にある日々を生きている人々に向かって、「これからこの現実を乗り越えていく非現実的なことが起りますよ」と、神の救いの前触れを語り、人々の心を神を求めるよう耕しました.

バプテスマのヨハネの宣教   (3章1節~12節)

 ヨハネは、神に託されたメッセージ「悔い改めなさい」と解き始めました。罪を責め立てるのではなく、反省や自己批判や自虐ではなく、自分の罪を認めて神の方向を向いて生きるようにと語りました。それは、「天の御国が近づいた」からだと叫びます。「天の御国」とは、神の主権、ご支配のことであり、その神の国が到来する。神を知っていながら、神に背を向けたまま歩む道の先にあるのは、全世界の主権者である神の裁きです。ローマの属国として、支配される厳しさ、苦痛を味わっている人々に、神の審判と救いが間もなく訪れることを知らせ、人々の心を整えたのです。ヨハネは、自分の生活を見直し、神を悲しませていることがないか、探ってみよ、そして罪に気づいたなら、その罪を告白しなさいと悔い改めをうながし、そのしるしとしてバプテスマを授けたのでした。 当時のユダヤ教の2大勢力であるパリサイ人(厳格な律法主義)やサドカイ人(祭司家系の上流階級)は、先祖アブラハムの功績によって神の審判を免れ、神の祝福が保証されていると信じていました。しかしヨハネは、そのような誤った特権意識をもつ彼らを「まむしの子孫たち」と糾弾し、悔い改めを迫ったのです。悔い改めは観念的なことではなく、生き方を変えることであると、ヨハネは明らかにしました。バプテスマを受けて「過去が清算されて終わり」ではなく、神と共に生きることなのです。

Ⅱ、イエスのバプテスマ    (3章13節~15節)

 このヨハネのもとに、人々がどんどん集まってきました。イエスも群衆に交じってバプテスマを「受ける」ために来られました。ヨハネは、イエスから溢れ出てくる聖さ・気高さ・威厳に圧倒されたようです。ヨハネは「私こそ、あなたからバプテスマを受ける必要があるのに…」と戸惑います。しかし、イエスは、御自分がバプテスマを受けることは、神様が望んでおられる「正しいこと」であると答えられ、「今はそうさせてほしい」と受けられたのです。

Ⅲ、天からの声    (3章16節~17節)

 他から見れば、イエスの洗礼は「イエスも罪人だから悔い改めのバプテスマを受けたのだ」としか見えなかったでしょう。そこに実に不思議な出来事が起こりました。天が開け、イエスのもとに聖霊がくだり、天からの声が響きました。父なる神、子なる神、聖霊なる神の三位一体の神が現れた場面です。父なる神は、このイエスが王なるメシアであり、苦難によって救いを成就すると宣言されました。ヨハネは、イエスの上にとどまる聖霊を見、神の御声を聞き、このイエスこそ神に遣わされた救い主だと確信したのです。そして、この後、イエスは救い主としての働きを始めることになります。

結   論

 イエスは、罪を知らないお方でしたが、全ての罪人の救い主となるために、罪人と同じ立場に立ってバプテスマを受けられました。「わたしの愛する子。わたしは喜ぶ」という神の御声は、私たちにも語られています。この愛する子イエスに匹敵して愛されているのです。この父なる神の愛、イエスを救い主として信じることが聖霊による神の賜物であることを覚えつつ、日々、神に感謝と賛美をささげてまいりましょう。

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