2023年7月2日 TBCデー礼拝メッセージ 「 少年イエス 」

メッセンジャー:仁科宣雄師

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「少年イエス」              ( ルカの福音書 2章41~52節 )

 イエスの幼少時代はルカの福音書だけが短く記しています。今日の出来事は、過越し祭でのことです。各地に散らばっている人たちが家族総出でエルサレムを目指して「巡礼」の旅をします。イエスたち家族の住むナザレからは約100キロ、歩いて1週間ほどです。当時の巡礼は、家族単位ではなく、同じ地域に住む人たちが隊列を組み、足の遅い子どもから女性たち、男性たちと順に歩き、宿営地点で合流するのが普通でした。 祭りの期間を終えた一行が一日の道のりを帰り進んだ時、宿営地点でイエスの両親はわが子がいないことに気づきます。二人は必死で探し回りますが、見つかりません。エルサレムまで引き返してみると、なんとイエスは神殿の公開討論会に参加していたのです。マリアの叱責は、世の親ならば当然のこと。それに対してイエスは「どうしてわたしを捜されたのですか?ここにいるのがわからなかったのですか?」と言わんばかりの返事です。

Ⅰ、父の家での時間     (2:46〜50)

 イエスはマリアに「自分の父の家でいるのは当然でしょう…」と、宮に残って神のことばを勉強するのが当然だというのです。この時のイエスの「知恵と答え」に、教師たちや人々は驚きます。宮は単に詣でる場所ではなく、「父」と呼ぶことができる神のおられる所であり、礼拝とはそのみもとに座ってみことばを聴き、主のみこころを深く知る交わりなのです。ヨセフとマリアも、まさかイエスが礼拝を終えた宮に、2日間もいるとは思わなかったでしょう。 私たちの礼拝は、「今日も教会に行ってきた」とお勤めのように済ませて終わりというものではないのです。神と深く交わり、そのみこころを日々心に抱き、次にまた会える日を待ち望みながら過ごす、という神との「恵みの線」となって続いていくべきなのです。

Ⅱ.「神の子」として     (2:49)

 イエスはこの時、神のことを「父なる神」と言われ、自分が「神の子」であることを始めて公言します(49節)。全能の造り主なる神を、いとも自然に「父」と呼ばれたのです。肉体を有し、制限をもつ「人間」となられましたが、無限・永遠の「神」であると宣言なさいました。 イエスが罪をもたずに人として生まれた神の御子だからこそ、罪人の身代わりとなってその罪を負うことができるということを強調する必要があったのです。罪のない神の御子を身代わりにするしか、私たちの罪の贖いはありませんでした。そこに、神の愛が働いたのです。 イエスは、ご自分が神の子「救い主」として地上で果たす使命も自覚しておられました。過ぎ越し祭において、何万頭もの小羊がほふられ、流されるその血を見て、人々が自分たちの罪が神の御前に赦されたことを感謝している姿を目に留められたことでしょう。この時から、ご自分が神の子羊としてほふられることを意識し始められた、と考えられるのです。

Ⅲ.神と人に仕えて    (2:51〜52)

 この時イエスは12歳、神の子であると自覚を持ちながら、両親を前に「人であるあなたがたとわたしは違うんです」と、毎日の養い、愛情をはねのけたのではなく、両親を敬い、仕えました。大工の息子として兄弟たちと泣いたり笑ったり、30才までナザレの村で人々の喜びや痛みを知りながら、神と人に慈しまれつつ、成長されたのです。

結  論

 神との愛の交わりが、人を愛する力、愛する喜びを与えてくれるのです。イエスの公生涯を見る時、神との交わりなくして主の働きが進まないことを見ることですが、それは、幼少期から培われたものでした。私たちも何歳になっても、日毎に主との交わりを深めつつ、周りの人たちと関わる中で主の愛と恵みを実感し、成長していく者とさせていただきましょう。

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