2023年4月30日主日礼拝メッセージ 「天に昇られたイエス」

メッセンジャー:仁科宣雄師

目次

「天に昇られたイエス」          ( 使徒の働き  1章 3~14節 )

愛する人との別れは、辛く、悲しく、生きる勇気を奪うほどのものです。しかし、ゆっくりと時を戻して共に歩んだ道を振り返りつつ、別れし人との言動と共に生きていくという歩み方が見出された時、新たに生きる感謝と喜びの日の始まりとなり得るのではないでしょうか。

Ⅰ.主イエスの昇天      (1:9~10)

イエスは40日間確かな証拠を持って、生きていることを使徒たちに示され、さらに神の国のこと、弟子たちがこれからすべきことを語り、父なる神のみもとへ帰られました。天の高い所に雲の上や宇宙空間に神の住まいがあるわけではなく、特定の場所に物理的に存在するわけではありません。天国(神の国)とは霊的な世界であり、神を想う心のどこでもあるということができるのです。 昇天の意義は二つ、①イエスが地上で果たすべき働きがすべて成し遂げられたこと、イエスが神であることの証明。②昇天なさったイエスが、神の右の座で私たちのためにとりなしておられるということ。限られた地域、人々だけに与えられた恵みのわざにとどまることなく、昇天されたことで、主は全ての人々とすべての時間共にいて、私たちの「イエスの御名によって」と言う祈りを父なる神にとりなしてくださるのです。

Ⅱ.主イエスの命令と約束      (1:3~8、12~14)

4,5節:主は昇天される直前、弟子たちに「ここから離れず、聖霊のバプテスマを授けられるまで待つように」と命じられます。ヨハネが授ける「水のバプテスマ」は犯した罪の悔い改めを導くもので、「聖霊のバプテスマ」は、主の十字架と復活を信じ、キリストの心とわたしの心が同じとなるように変えられ、真に生きる者とされることを意味します。それは、主が世のすべての人を愛したように愛することを学び、主がご自身をささげたように自分を神の働きにささげることを願う者とされるように、主が私たちの内に住んで働かれ、主のみこころを行わせる力となるのです。 8節:弟子たちはイエスの「間もなく」とのことばに反応し、今度こそは、ローマ帝国から独立し、イスラエル王国が地上に樹立されるに違いないと期待し、それがいつ?と問います。しかしイエスは、「わたしの証人=過去の出来事で自分が見たこと、聞いたこと、経験したことを忠実に語る人となるだろう」と言われるのです。弟子たちの将来への関心とは正反対のものであり、イエスは弟子たちが「予言者」となって将来のことを語るのではなく、過去の出来事を語るご自身の証人となることを求められたのです。弟子たちの目を常に十字架と復活に向けさせ、それらの証人として生きることを願われたのです。  もはや直接イエスから指示を受けることのない弟子たちのこれからは、求め、信じ、待ち、与えられていく道です。彼らは一つ部屋に集まり、心を一つにし、祈って待ちました。

Ⅲ、再臨の約束        (1:11)

天に上げられるイエスの姿を見ていた弟子たちにとって、イエスが神であることを見る喜びと同時に、別れの不安と寂しさが彼らを襲ったことでしょう。しかし、「同じ有様でまたおいでになります」と再臨の希望を約束してくださいました(:11節)。この約束の成就こそ神の国の完成であり、私たちの真の喜びであり、希望です。

結  論

イエスの33年余りに及ぶ地上の生涯に続いて昇天されたイエスの生涯が、今を生きる私たちの「力」となっているでしょうか?人間の知恵と力を働かせて月へと生活圏を延ばそうとする時代にあって、真の神の愛から生み出される知恵と力が一人の人を救う力となることを覚えつつ、主の「証人」とならせていただきましょう。

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